2010年7月26日(月)更新
選挙にいってきました。どこの誰に投票したのかといえば、私の場合いつも決まっています。女性に、です。選挙があり、女性の候補がいれば、無条件で投票する。たとえ嫌いな政党に属していても、仮に出鱈目な主張を唱えていても、必ず入れる。それを私は、かれこれ二十年近くも続けているのです。
理由は単純明快です。一七八九年のフランス、全国三部会で貴族代表と対立したあげく、第三身分(平民)代表が「国民議会」を宣言した顛末は、小説のなかでも触れています。フランスでは国民の九割以上が第三身分なのだから、その代表である自分たちは、シェイエスのいう通りに「全て」ではないとしても、「ほとんど全てのフランス国民の代表」なんだと、反対に貴族はほんの一握りだから、その代表を除いて「国民議会」を称したところで、大した問題にはならないんだと、それが当時の主張でした。単純明快な数の論理ですね。この「国民議会」が成立しなければ、フランス革命もなにも起こらなかったわけですが、さておきです。
日本の代表制を眺めてみますと、男性議員の数がまだまだ圧倒的です。男など国民の半分でしかないはずなのに、どう数えても議員は五割を超えているわけです。単純明快な数の論理からして、これはおかしい。国民の五割は女なのだから、議員も半分は女であるべきだ。でなければ、正しい「国民議会」にはならない。国の舵取りも、著しくバランスを欠いたものになる。そう考えて、無条件に女性に投票しているわけですが、実際のところ、自民党と民主党の政見の違いより、男性と女性の感覚の違いのほうが、よほど大きいような気がしませんか。