革命の舞台はヴェルサイユからパリへ。 民衆の追及は、聖職者たちへと伸びる。彼らの富の独占が、民衆の追及の槍玉に挙げられる中、自らも聖職者であるオータン司教・タレイランは、教会の破壊を精力的に推し進めようと画策する。

バルナーヴらは、国王の逃亡を誘拐説にすり替えて廃位を阻止する。王政を廃止して共和政を目指すジャコバン左派のロベスピーエルらはこれに反発、立憲君主制を目指す議員たちが設立したフイヤン・クラブと対立していく。

ヨーロッパ各国との戦争、経済崩壊、ヴァンデの反乱などで、苦境に立たされるジロンド派。ジャコバン派は革命裁判所を設置し、公安委員会を発足。ロベスピエールが蜂起を呼びかけ、ジロンド派はさらに追いつめられていく。

公安委員会で、独裁に反感が生まれ、国民公会はロベスピエールを告発し、ロベスピエール派の逮捕令が可決された。ロベスピエールは、蜂起を呼び掛けようとしたが失敗に終わる。革命は、どこへ向かうのか。

パレ・ロワイヤルで決起を呼びかけるデムーランに応じたパリ市民は、バスティーユ要塞を襲撃し陥落に成功する。政治的混乱と物価の高騰を受けて、多くの女性を含むパリ市民がヴェルサイユに宮殿に乱入、国王一家はパリに移される。

1791年、国王と議会の仲介者であるミラボーの病死をきっかけに、国王一家は孤立を深めていく。過激化する革命から逃れるため、スウェーデン貴族フェルセンの計画のもと国外逃亡を図るも、国境近くのヴァレンヌで身柄を拘束される。

プロイセン軍がフランス領内に侵入すると、各地の義勇兵たちがパリに集結、市民とともに、テュイルリ宮殿を襲撃する。国王一家をタンプル塔に幽閉、王政は廃止され、一七九三年一月、ルイ十六世は裁判を経て処刑される。

サン・ジュスト、クートンの協力によって、ロベスピエールの独裁色はさらに強まり、エベール一派、ダントン、デムーランらも処刑される。さらに、国家総動員法を布告、徴兵制度を実施して諸外国の干渉戦争への反撃に成功する。

1789年、ヴェルサイユで全国三部会開幕。ミラボー、ロベスピエールら第三身分(平民)議員たちは、進まない議論に苛立ち、三部会に見切りをつけ国民議会を設立。国民に人気の高い財務長官ネッケルが解任され、民衆の怒りは頂点に。

タレイランが推進する聖職者の俸給制などを盛り込んだ聖職者民事基本法に対して非難が集中、議会は紛糾する。革命の理想を追求するロベスピエールはミラボーと意見が噛み合わず、歯がゆい思いを抱きつつあった。

ブリソやロラン夫人などが所属するジロンド派は、革命の終結を目指しつつ国内の経済繁栄のため開戦論を展開する。対するロベスピエールらは、反戦を唱え急進的な革命を推し進めようとし、ジロンド派との対立を深めていく。

マラ暗殺の背後にジロンド派を見るサン・ジュスト、ロベスピエールらは、マリー・アントワネットの処刑後、ブリソら多数のジロンド派議員を断頭台に送る。リヨン、アルザスなど地方へも議員が派遣され、粛清が進められる。