革命の舞台はヴェルサイユからパリへ。 民衆の追及は、聖職者たちへと伸びる。彼らの富の独占が、民衆の追及の槍玉に挙げられる中、自らも聖職者であるオータン司教・タレイランは、教会の破壊を精力的に推し進めようと画策する。
バルナーヴらは、国王の逃亡を誘拐説にすり替えて廃位を阻止する。王政を廃止して共和政を目指すジャコバン左派のロベスピーエルらはこれに反発、立憲君主制を目指す議員たちが設立したフイヤン・クラブと対立していく。
パレ・ロワイヤルで決起を呼びかけるデムーランに応じたパリ市民は、バスティーユ要塞を襲撃し陥落に成功する。政治的混乱と物価の高騰を受けて、多くの女性を含むパリ市民がヴェルサイユに宮殿に乱入、国王一家はパリに移される。
1791年、国王と議会の仲介者であるミラボーの病死をきっかけに、国王一家は孤立を深めていく。過激化する革命から逃れるため、スウェーデン貴族フェルセンの計画のもと国外逃亡を図るも、国境近くのヴァレンヌで身柄を拘束される。