創作の風景

「フランス革命を書かなければ」
西洋歴史小説と看板を掲げるかぎり、避けられないテーマだと考えてきた。が、いつどんな風に書いたらよいのか。齢四十に届いた今、その機が熟し、また術がみえてきた。
 十年は専ら技術の習得に費やしてきた。三十歳の私は己の不器用を恥じたのだ。が、その思いが今では異なる。野球のピッチャーに譬えて、しばしば自問してしまう。変化球で三振をとって、どうするのだと。おまえの本文は力任せの直球勝負でなかったのかと。
「スピードボールで完投したい」
 かかる思いのたけをぶつけられるテーマ、それこそ念願のフランス革命だった。構想で全十巻、それは力みがすぎて、暴投にもなりかねない大仕事である。そうまでして、今なぜと問われれば、いや、今だから挑戦する意味があろうと私は答える。
 日本は変わらなければならない。そう叫ばれて、優に十年が過ぎた。けれど、この国は今も変わっていない。私にいわせれば、変わり方を知らないからだ。とすると、フランス革命の歴史は教えてくれるのだ。自分が変わる、世界を変えるというのは、元来が格好よいものではないと。赤面を禁じえないほど、実は愚直な挑戦なのだと。

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