第一部の座談会では、編集委員のみなさんが解説の執筆を担当している巻の話題を中心に、それぞれ印象に残った作品などに触れながら、本全集の意義や特徴を語った。


 まず、浅田さんは、『アジア太平洋戦争』(第8巻)に触れ、この巻のタイトルに関して、当初、編集委員の中で多様な意見があったと打ち明けた。「太平洋戦争」や「大東亜戦争」、様々な呼び方がある先の戦争について、どのような呼び方がふさわしいのか、議論が尽くされたという。その結果、アジアを端緒に太平洋に広がった戦争を指す、この「アジア太平洋戦争」にタイトルが決まった。今、戦争について語ることをどの地点から始めるか。そして戦争を改めて考え、捉え直すことの意義と同時に、難しさを伝えるエピソードといえるのではないだろうか。


『女性たちの戦争』(第14巻)の解説を担当する川村さんは、これまで戦争文学を考えるとき、実際に戦争を経験している作家の作品を読むことが多かったが、今回、様々な作品を検討し、本全集を編む中で、自身の戦争への捉え方が変化したという。それは、アジア太平洋戦争以降に生まれた私たちも戦争を何度も経験してきたのではないかといった思いだ。朝鮮戦争やベトナム戦争、湾岸戦争など、日本は基地の問題や金銭的援助を含め、前線ではないが、常に銃後の役割を果たし戦争に関わってきたと言えるのではないか、そのような捉え方で作品選びを行ったと語った。


 成田さんは、解説を担当した『ヒロシマ・ナガサキ』(第19巻)の巻に収録されている、主人公と若狭の原発で働く旧友との交友を描いた、水上勉「金槌の話」に触れた。例えば現在、国家間で行うだけではなくなった戦争の実態の変化など、それらに伴う文学作品における戦争表現やテーマの変化といった状況がある。その一方で、社会状況が変われば、読み方が変化する場合もある。原発を扱った一九八二年発表のこの作品は、編集している際、原爆投下以降の核の状況について考えるために収録したが、3・11以降、その内容は、原発で働く労働者や、故郷が原発によって変化していく問題として俄然迫ってくる。そして編集する際に考えた意図とは異なったとしても、収録作品に新たな読み方が生まれる可能性があることが重要であると述べた。


『9・11変容する戦争』(第4巻)の解説を担当した高橋さんは、収録されている岡田利規「三月の5日間」を挙げ、イラク戦争が始まり、アメリカが大規模攻撃を終了するまでの五日間、渋谷のラブホテルで過ごす若い男女を描いたこの戯曲から、現代の若者が戦争をどのように受け入れているかが見えてくると指摘した。そこには、戦争が普段の生活や恋愛と等値にある、つまり戦争だけが特別な問題ではないという認識があるとともに、戦争はどこにでもあるといった状況も描かれているという。シンポジウム当日は、9・11のアメリカ同時多発テロの10周年にあたったが、戦争がいつ、どこで起こるかわからないといった遍在性は、9・11以降に強まり、それがこの戯曲に現れていると語った。


 最後に浅田さんが、戦争映画を見てもイメージでしか戦争を理解できないが、文学はつぶさに人間の思いや考えを言葉で描写し、人間を描くことによって成立しているからこそ、戦争に対峙している人間の実相をしみじみ実感できるのだと締めくくった。


 第二部は、立花隆さんが「次世代に語り継ぐ戦争」と題した講演を行った。第一部の座談会でも取り上げられた「三月の5日間」などを挙げ、戦争概念の変化が現在の文学作品に現れていると指摘した。しかし現代の戦争概念の変化の一つとして、例えば日本では、戦争はテレビの中で見るものといった捉え方もあるが、実際の戦争は、私たちの実社会で通用するような倫理規定が全く通用しない、徹底的な破壊であり、リアルな殺し合いであることに変化はない。その現実を見つめるためにも、先の大戦で何が行われたのか、戦争の記憶を持つ人たちが少なくなっていく今こそ、その記憶を掘り出し、歴史を記録しないといけないと述べた。そしてその場にいる人間の心の中を紡ぎ出すことなくして戦争の実相は伝えられないと語る立花さんは、戦争体験者たちが文字で書いたものを残すことの重要性を指摘し、「物語を紡ぎだす力は、言葉だけが持つ」と強調した。

 プログラム
9月11日
第1部 編集委員による「戦争と文学」座談会 浅田次郎/川村湊/高橋敏夫/成田龍一 司会/陣野俊史(文芸評論家)
第2部 立花隆講演会 「次世代に語り継ぐ戦争」

第1回 広島会場の様子はコチラです。
第2回 長崎会場の様子はコチラです。
第4回 大阪会場の様子はコチラです。