諸先輩の作品を三年がかりで読み、私観によって収録作を選ばせていただいた。戦争を知らぬ編集委員のみによる戦争文学全集の刊行は、わが国においてはむろんのこと、おそらく世界で初めての試みではあるまいか。ゆえに意義は深く、責任の重い大仕事であった。収録作の多くは表現の不自由な時代に書かれ、また道義的制約のもとに書かれた名作である。命を主題とした小説の難しさと灼さを、改めて思い知らされた。
1951年東京都生まれ。著書に『鉄道員』(直木賞)、『壬生義士伝』(柴田錬三郎賞)『中原の虹』(吉川英治文学賞)、『終わらざる夏』(毎日出版文化賞)等。

二十一世紀に編まれた今度の全集の一番の特徴は、編者が誰もアジア太平洋戦争を体験していない点にあるかもしれない。このことは、戦争体験の痛切さよりむしろ、体験の意味をとらえかえし、ときに想像力を駆使して歴史を創造していく言葉の力||まさしく「文学」と名づけるべき言葉の力に注視する結果を生んだ。日清日露戦争から9・11以降まで、日本語の文学が近現代の戦争をいかに表現し、「経験」としてきたか。本全集はそれを証言するだろう。
1956年山形県生まれ。著書に『石の来歴』(芥川賞)、『神器 軍艦「橿原」殺人事件』(野間文芸賞)、 『浪漫的な行軍の記録』『シューマンの指』等。
このアンソロジーでは、戦争の陰に隠れた事物や人々に光をあてたいと思った。前線よりも銃後を、戦闘よりも平和の困難を、戦場よりも平穏な植民地の風景を、兵士たちよりも女性や子どもや年寄りたちを。「戦争」そのものを描くよりも、戦争を支え、そしてそれを打ち崩していった人々の営為(それを平和活動とは呼ぶまい)を。
1951年北海道生まれ。著書に『南洋・樺太の日本文学』(平林たい子文学賞)、 『補陀落 観音信仰への旅』(伊藤整文学賞)、『牛頭天王と蘇民将来伝説』(読売文学賞)等。

近代日本の歴史が戦争に憑かれたものだとすれば、戦争を放棄したはずの戦後史もまた、戦争に憑依されている。あからさまな総力戦から、いびつで隠微なそれへ。そして、ポスト冷戦、ポスト国家時代の現在||始まりも終わりも、場所もはっきりしない「新しい戦争」はわたしたちの日々の生活と意識のただなかに、恐怖と敵意と暴力の戦争状態を遍在させつつある。姿をかえる戦争にあらがう文学の、多様かつ独自の試みを、うかびあがらせたい。
1952年香川県生まれ。著書に『藤沢周平 負を生きる物語』(尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞/ 評論・伝記部門)、『「いま」と「ここ」が現出する』等。
戦争文学には、戦争のなかでのあらゆる経験──戦闘をはじめ、人間関係や日常の細部までが描き出されるが、「戦時」においてはその報告であるとともに、「戦後」に書かれたものは戦争の総括となる。そのため、戦争文学は書かれた時期との緊張関係を絶えず持ち、単なる証言の域をこえて、「戦時」と「戦後」の営みを一挙に照らしだす存在となっている。アジア太平洋戦争が記憶の領域に入り込みながら、他方、あらたな戦争が生起しているなか、戦争文学が書き続けられ、読まれ続けなければならない理由がここにある。
1951年大阪府生まれ。著書に『大正デモクラシー』、『戦後思想家としての司馬遼太郎』、 『「戦争経験」の戦後史 語られた体験/証言/記憶』等。

集英社の創業85周年記念企画として戦争文学の全集を考えているが、その中にエンターテインメント作品も収録したいという話を聞いたとき、画期的な企画だなと思った。これまで戦争文学の全集、叢書は幾度か刊行されてきたが、エンターテインメント作品も視野に入れたものはなかったと言っても過言ではない。初の試みである。実はミステリーやSFなどの大衆小説の分野でも戦争をモチーフにした作品は数多く書かれていて、傑作も少なくないのだ。そういう作品までをも対象にするとはとても嬉しい。
1946年東京都生まれ。76年、椎名誠氏らと「本の雑誌」創刊。 著書に『冒険小説論 近代ヒーロー像100年の変遷』(日本推理作家協会賞)等。