荒くれ者たちへの憧れ ロックンロール梁山泊 北方謙三×綾小路 翔

12世紀、激動の中国を舞台に豪傑たちが戦う――、「大水滸伝」最新シリーズ『岳飛伝』が、このほど待望の文庫化! これを記念して、著者・北方謙三とロックバンド・氣志團の綾小路翔氏によるトークライブが開催されました。題して「荒くれ者たちへの憧れ ―ロックンロール梁山泊―」。第1部。まずは北方氏がこの物語に賭けてきた思いに耳を傾けましょう。

私はこの「大水滸伝」シリーズにおいて、『水滸伝』『楊令伝』と続き、今回の『岳飛伝』で全51作を書き上げました。これだけの作品数を書き終えた瞬間は、今でも忘れられません。その時、自分が今どこにいるのかもわからないくらい、頭の中が“無”になったんです。それはもう、闇ですらない、本当に何もない状態でした。

でもやがて、そんな中でも少しずつ、何かの上に立っているような感覚を覚え始める。そうか、自分は土くれの上に立っているのだなと、徐々にわかってくる。そして、そのまま立ち尽くしていると、その土の上にポツポツと小さな芽が生えているのが見えてくる。そこで私は実感するわけです。「ああ、この芽があるかぎり、自分はまだ小説を書き続けていけるんだろうな――」と。

その芽が少しずつ伸びていき、高く育ったところで、また新たな作品が書ける。作家とは、そういうものなのだと、心から感じています。

男たちの人生に“決着”をつけたかった

『岳飛伝』を書こうと思ったのは、『水滸伝』や『楊令伝』に登場した男たちの、人生の決着をつけたかったからです。言い換えれば、一人ひとりの人生の結末を描きたかった。

ただ1人だけ――ネタバレになるので誰とは明かしませんが、死なない人間がいる。ところが、既読の読者からは「あの人はあの場面で亡くなったんですよね」と言う。なぜなら、傷を見て医者が首を振るシーンを描いたから。でも、描いた本人としては、決してそんなつもりはなかったから、読者の皆さんがいかに自身の願望やイメージを物語に投影しながら読んでくれていたのか、思い知らされるようでもありました。

あるいは逆に、呉用というキャラクターを『水滸伝』の中で私は殺しています。ところが、熱心な呉用のファンは「まだ生きている」と言う。なぜなら、死体があがっていないからだそうです。

同様のことを言う人があまりに多いので、やむを得ず、ファンが集まる場でアンケートをとることにしました。呉用が死んでいないと思う人、死んだと思う人、それぞれに挙手をしてもらい、多数決で勝ったほうに私が合わせます、と。……その結果、一度は死んだはずの誤用を、『楊令伝』でもう一度出さなければいけなくなったわけです(苦笑)。

読者と一緒に創ってきた物語

17年間、本当にいろんなことがありました。また、いろんなファンと出会うことができました。

たとえば、ある時のサイン会では、「鮑旭が好きなんです」と言って、私の前で泣いた女性がいました。鮑旭というのは、当初は文字も書けない獣のような青年でしたが、やがて王進の母親に教わって、ついに自分の名前が書けるようになる。それに合わせて、モラルも何もなかった青年が少しずつ変わっていき、最後に自分の名前を書いて「母はほめてくれるだろう」と締め括ったシーンが、わりと話題になりました。

で、私はこの鮑旭を、「そろそろ殺さなければな……」と、病院通いをするシーンを書くなどして、その“兆し”を用意していたのですが、そのファンの女性が「もう鮑旭が死ぬのは覚悟しました。でも、どうか病死だけはやめてください」と泣き崩れたのです。

以降、鮑旭を描くたびに彼女の涙が頭をよぎってしまうようになり、結局、仕方がないので彼は病をおして戦場へ赴き、仲間の盾となって見事な死を遂げることになりました。

つまり、このシリーズというのは、私だけでなく、読者の皆さんと一緒に創ってきたところがある。これは間違いないでしょうね。