『書楼弔堂 待宵』著者インタビュー

アナログじいさんが、YouTubeを見られるようになるまでの話です

[3]江戸と明治はシームレスにつながっている

──新しくなった近所の銭湯に出かけた弥蔵が、画家志望の青年と知り合いになるのが第四話「幽冥」。単身東京に出てきたという彼は、後に竹久夢二として美術史に名を残すことになります。

 竹久夢二って、絵はみんな知ってるんでしょうけど、人間も面白いんですよ。郷里の岡山から家族で福岡に越して、そこから逃げるように東京に出てきて、その後次々と恋に溺れていく(笑)。ちょうどこの時期は何をやっていたかよく分からない空白期なんで、勝手に作ってしまいました。夢二は反戦運動に傾倒していたらしいのでビラ貼りの手伝いくらいはしただろうと。風呂屋を舞台にしたのは、あまり裕福じゃない庶民の生活感を出しておきたかったからですね。
 面白いといえば、風呂屋さんの歴史も、本屋さんと同じくらい面白いんですよ。まあ、どんな業種でも、発祥、変遷、隆盛から衰微と追い掛けていけば興味深いものなんですけども。事実は小説より何とやらといいますが、ノンフィクションのほうが面白かったりしますしね。僕の小説は噓ばっかりか、せいぜい虚実ない交ぜなわけですが、このシリーズは「実」の組み合わせで「虚」を生み出しているようなところがあるかもしれませんね。

──第五話「予兆」に出てくる寺田寅彦は、物理学者で夏目漱石門下の文人です。しかしこの当時は帝国大学(東京帝國大學理科大學)の学生。離れて暮らす妻の病気に心を痛めつつ、知的好奇心を失ってはいません。

 寺田寅彦って早くから完成していた人みたいなので、辛気くさい甘酒屋のじじいがごちゃごちゃ言うような隙はないんですよね。ただ転機めいたものがあったとするなら、やはり若くして伴侶を亡くしたことは大きいだろうと。学生結婚ですからね。奥さんが亡くなって寺田は大いに悲しんだんだと思いますが、だからといって打ちひしがれて、何も手につかなくなるというタイプではない。目の前に興味深い事象があれば食いついただろうと。個人的には金平糖の実験の逸話がとても面白かったので、「物理学者の卵が甘酒屋のじじいの前で金平糖を食う」というかなり無理筋な場面を作ることになってしまいました。

──この寺田が気にかけていた謎の老人が、最終話「改良」の布石になっていますね。「改良」で弔堂を訪れるのは、幕末の動乱で大きな役割を果たしたあの人物。弥蔵が目を背けてきた暗い過去とも、関わりを持っています。

 僕は以前、『ヒトごろし』(上・下/新潮文庫)という幕末が舞台の作品を書いたんですが。甘酒屋のじじいはその時代を生きているんですね。極端に地味なスピンオフキャラ(笑)。随所でそれらしい回想シーンが入るので勘の良い方は割とすぐに正体に気づくと思うんですけどね。僕の小説はどっかで他の作品にリンクしてるんですが、今回は『ヒトごろし』です。舞台は明治になって三十年以上経ってますが、言い換えればたった三十数年前が江戸時代なんですからね。令和に対しての昭和程度ですよ。江戸を覚えている人もたくさん生きている。我々は元号が改まるとつい、時代がすぱっと切れて新しくなったように思いがちですが、そんなことはないんです。今でも「昭和っぽい」と言われるものが平成生まれだったり大正時代の話だったりするでしょう。時代って非連続ではなくて、シームレスにつながっているものなんだろうと思います。

  • 主役は本の流通、語り手は明治時代の読者
  • いくら本を読んでも人は変わらない
  • 江戸と明治はシームレスにつながっている
  • 肯定と否定を共存させる「均せば普通だ」
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