[4]博文館の登場と近代化
そのころ日本の本の世界には、もうひとつの新しいメディアが浮上していました。雑誌です。近代の申し子ともいえる雑誌界をリードしたのは、長岡出身の大橋佐平が明治20年に創業した博文館でした。新聞とともに、言論ジャーナリズムとして西洋からもたらされた雑誌は、明治のなかばあたりから急速に読者層を広げ、日清・日露の戦勝も加担して、出版のメインストリームに躍り出ます。
わずかの間に人気雑誌を続々と刊行、またたく間に市場を席巻した博文館は、販売にも大いに力を入れました。そのひとつが明治23年に開業した小売書店、東京堂です。いまも神田神保町のすずらん通りにある東京堂書店は、作家や著名人にファンが多いことでも知られています。
また博文館は、雑誌販売の拠点として各地の大きな本屋とも直接取引し、仲卸のような役割を担わせていました。小売部の翌年、東京堂は卸部を設けてこれを組織化し、他社の雑誌を博文館のルートに載せました。この東京堂卸部は、雑誌を全国に一斉に流通させるというインフラを担うことで、やがて近代出版業界の中心的な存在となります。そして、明治期の本屋の混沌とした状況もまた、こうした産業の近代化の中で、変態をとげてゆくことになるのです。