コラム「明治期の本とその流通」柴野京子

コラム「明治期の本とその流通」柴野京子

[3]新旧の取引

 本屋の中には、もちろん古本屋も含まれていました。丸善と同じ年に生まれ、古書肆・二三屋書店を継いだ岩本米太郎は、古本を商いながら出版を始めた父の商売を、次のように説明しています。

 親父などは明治二年に自分の出版物を携え、上方へ参りまして、本替ということを致しました。此方から新しいものを持って参りまして、それを上方の本屋へ売り、向うの古本を金の代りに取ります。新古本交換でございます。(中略)本の宣伝の機関というものもございませぬ。ですから自分で出向いて、あっちへも広め、こっちへも広め、いわゆる本替本替で、多く捌いて参ったのでございます。(反町茂雄編『紙魚の昔がたり 明治大正篇』八木書店 より)

 岩本の回想は、東京で本を作った青年が大阪の本屋と取引し、そこで出回っている古本と自分の本を物々交換して、本を広めていった様子を示しています。古本と新本は、明治16年に古物商取締条例が出たことによって、少しずつ分かれていくことになりますが、兼業する本屋は珍しくなく、区別もあいまいでした。そして同時に本の流通は可能な範囲にとどまり、どこの本屋でも同じ本が並んでいる、というわけではなかったのです。

 丸善の二階には洋書が並び、巷では軽い絵草紙や読みものが売られる。本屋には古本も新本もあり、その種類は場所によって異なっていました。さらに学校が整うと、医学書や法律書、初等教科書などを発行する近代的な出版社も登場、洋装の本も続々と出版されるようになりました。明治20年には、近代最初の本屋の同業組合ができますが、以前からの本と新しい本、昔ながらの商売と維新の事業とが混ざりあうさまは、組合名簿の中にも色濃くあらわれています。

  • 丸善の二階
  • 本と本屋の諸相
  • 新旧の取引
  • 博文館の登場と近代化

柴野京子 略歴

上智大学文学部新聞学科准教授。早稲田大学卒業後、出版取次会社に勤務。2011年、東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。同大学院人文社会系研究科特任助教を経て、2012年より現職。主著に『書棚と平台――出版流通というメディア』『書物の環境論』(いずれも弘文堂)。