[2]本と本屋の諸相
ではごく普通の人たちは、どこでどのような本を手に入れていたのでしょうか。
和本には、「物之本」という固めの本と、読みものや絵草紙のような軽い本がありました。日本の出版はもともと上方が主流で、江戸の出版は18世紀の後半ごろ、京都や大阪の本格的なものとは区別して、地本と呼ばれました。
本を売る店は各地に存在しましたが、とりわけ軽い草紙類などは、小間物屋の店先や行商の薬屋、貸本屋などを通じて流通していたことが、明らかになっています。地本の一種である絵草紙には、こども向けの絵本など冊子になったものもあれば、各種番付、すごろく、役者や力士、風俗や事件を描いた錦絵のように一枚刷りのものも含まれました。こうした庶民的な出版物は、町中であれば、明治20年代ごろまで、縁日や交通の要所、そして絵草紙屋などで売られていたようです。
錦絵のように綴じていないものを「本」とよぶのは意外かもしれませんが、「本屋」が意味するところもまた、いまとは異なっていました。たとえば作り手が自分の本を売るのは自然なことで、印刷・製本と出版、小売が合体した「本屋」は珍しくありませんでした。他方で、もっぱら人の本を請負う者もありましたし、卸売と小売を兼ねる業者もいました。中には「せどり」といって、店をもたずに本屋の間をつなぐ個人営業も存在しました。この時代、とりあえずは本にかかわる商売全般が「本屋」であり、書籍商だったのです。