『書楼弔堂 炎昼』著者インタビュー

虚と実のはざまに生まれる物語

[2]現代にも通じる明治の世相

──第二話「普遍」で弔堂を訪れるのは、当時人気の演歌師・添田平吉。『ノンキ節』などで知られる、後の添田唖蝉坊です。

 最近柳田國男のことばかり書いているんで、よほど柳田が好きなんだろうと思われている節がありますが、決してそんなことはないです。好きというなら、添田唖蝉坊の方が好きですね。いいですよね、唖蝉坊。不幸や哀しみを腹の底から笑い飛ばすような歌で、一時期ずっと聴いていました(笑)。演歌といっても、今でいう演歌とはもちろん違います。往来での演説が禁じられて、歌ならいいだろうと歌い始めたものなので、根底には主張があるんです。ところがそれが作り手の思惑と乖離したところで、流行歌として受けいれられてゆく。作り手にはどうしようもないことなんですけど。その不本意さは、個人的な恋心を綴った作品が、浪漫派の新体詩として評価されてしまった松岡の戸惑いとも重なるのじゃないかとふと思ったんです。全く接点がない演歌師と詩人が本屋で顔を合わせて、実は似たような懊悩を持っていたとしたらどうだろうと。弔堂以外では絶対に出会わないですし。

──第三話「隠秘」では、松岡に連れられて帝大生の福来友吉がやってきます。福来といえば催眠術の研究から千里眼や念写(いわゆる超能力のようなもの)の実験に携わって、大学を追われてしまった異色の人物ですね。

 あまり注目されませんが、松岡とやや被る時期に帝大に在籍しているんですね。おそらく接点はなかっただろうけど、あったら面白いなあと。この二人の対決は、いわば『貞子vs伽椰子』みたいなものですから。さすがに塔子なんかに口をはさませる余地はなくて、勝海舟なんかにサポーターをさせました。福来友吉の評価というのは今日ではやや微妙です。オカルトに手を出して、大学を追われた人物というイメージがある。しかし福来自身はあくまで科学的に真理を追究していると信じていたわけで、時代に翻弄された感はありますよね。民俗学は科学だと主張した柳田國男と背中合わせですし、その対比も興味深く感じました。

──第四話「変節」で塔子は、少女時代の平塚らいてうと出会います。「元始、女性は太陽であった」という有名なフレーズを連想させる会話が描かれたり、その後の活躍を知っているといっそう興味深い作品です。

 この作品に書かれていることは全部嘘なわけですが、史実は曲げることはできませんからね。こんな変な本屋がなくても、らいてうはらいてうになるんです。だから、らいてうの父だとか、テニスとか、エスケープとか、『若きウェルテルの悩み』だとか、小ネタを拾って組み替えて、弔堂のつけ入る隙を作るしかない。史実を積みあげることで嘘をついているわけです。言葉遣いにしても、明治時代にはない言葉なんかをしゃべらせるんですが、違和感が出るといけませんからね。ただ雷鳥の絵を見せるのはやり過ぎなんじゃないか弔堂、と(笑)。まるで歴史上の重要なことは、すべてこの店で決まっているみたいですよね。

──日本では古くから男尊女卑が当たり前。そう教え込まれてきたらいてうに、松岡は言いますね。「この国は、そんな国じゃあない。もっとずっと多様だった筈です。そんな画一的な歪んだ過去は、まやかしですよ」

 明治も三十年代になると、江戸を知らない人が結構増えてくるわけですよね。三十歳以下はみんな明治生まれなんだから、江戸時代からこうだったと言われても反論のしようがない。でもそれは往々にして嘘だったりするんです。今だって日本の伝統だと思われていたことが、つい最近捏造されたものだったなんてことは往々にしてある。江戸と明治の断絶はゆるやかに進行していて、『破曉』と『炎昼』の間でもかなり進行しているんですね。

──松岡のセリフは今日の読者にも響くところがありました。

 シリーズ前作は「現代に通じる部分がありますよね」「明治時代の〈どうする連〉ってAKBファンみたいですね」とか、あちこちで言われたんですが、作者にそんなつもりは全然なかったです。明治の風俗を描いたら、たまたま現代に通じる部分があっただけ。でも今回は逆で、現代の世相を明治に寄せて書いていたところはありますね。昨今は間違っているものはいくら叩いても構わない、間違っている人は糾弾されて当然という風潮で、どうなんだろうと思いますが、そういうことは昔からあったでしょうから、当時の状況の中でどうしてそうなるのかを登場人物に考えさせてみようとか。でも主義主張を押しつけるような小説は柄ではないので、読者が気にすることではないんですけど。

──第五話「無常」で弔堂を訪れたのは、軍神として尊敬されていた乃木希典。ところが旧知の間柄らしい弔堂主人との会話を通して、気弱で泣き虫という乃木の意外な面が表れてきます。

 乃木希典は決して世間で言われるような愚将ではないと思うんですよ。ただ、親孝行だったり親不孝だったり、酒色に溺れたり品行方正になったり、エピソードを並べるとまったく首尾一貫していない。一本筋を通すなら、いい人ですね。作中にも書きましたが、乃木が『中興鑑言』を時の皇太子に献上したのは事実ですし、これは指導者の失策が書かれた本ですからね。自らの失敗に無自覚だったわけはない。賢い人だったはずなんです。ただ、軍人には向いていなかったんでしょうね。最近は単なる愚将と片づけられることが多いですが、評価のしどころがずれていると思う。なので、作中では、「坂の上」を見ても「雲」はないんですね。

  • 本の魅力に目覚めた女性が主人公
  • 現代にも通じる明治の番組
  • 日の当たらない人々への讃歌
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