『書楼弔堂 破曉』著者インタビュー

巌谷小波は元祖アニオタ

──最後の章「未完」を除いて、実在の人物が登場します。泉鏡花、井上圓了、巖谷小波、勝海舟、月岡芳年、ジョン萬次郎……。それぞれが弔堂を訪れて、巡り合うべき「大切な本」を主人から薦められます。

 弔堂が薦める本というのは人生の転機になるべき本であっては「いけない」というのを、最初に決めたんです。それを読むことによってがらっと人生が変わってしまったとか、その人の考えが変わってしまったというようなものではなくて、その人自身はずっと変わらないんだけど、その変わらない人と伴走する、変わらなくていいんだよということを保証するような本を与えるべきだろう、と。

 本を読んで人間が変わって、昨日までだらだらしていた人が勤勉になったとか、ギャンブルをやめたとか、お酒をやめたとかいう話になると、ただの道徳的な寓話になってしまう。お酒を飲んでぐだぐだしてる人は、お酒飲んでぐだぐだしてることを保証してくれるような本を探しているわけで(笑)、それこそがその人の大切な本になる。

 たとえば、巖谷小波という人は、全国を渡り歩いてお伽噺を語るお爺さんというイメージが強いんだけれど、この明治二十五、六年の頃の彼は、失恋に悩む純情なお金持ちの御令息ですね。お伽噺を語るお爺さんとブレイクハートのお坊ちゃまでは相当イメージ的に乖離しているわけですが、これは地続きのはずなんです。どっかで変わっちゃったわけではない。一本線を通すなら、それは何だろうと。で、ものすごくざっくりと、わかりやすく言うなら、まあオタク的要素なんじゃあなかろうか(笑)。繊細で傷つきやすい潜在的アニオタ(アニメが大好きな人)と仮定してみたらどうか。怒られそうですが。三次元の女の子との付き合い方はイマイチわからなくって、フラれて傷つき、でも二次元に逃げ込むのは逃避だと思ってしまう。「いけない、ぼくはこんな年齢になってアニメなんか……」とか思い悩む。そこに「いや、いいんだよ、アニオタとして生きればいいでしょう」と囁かれてしまう(笑)。そこで、新機軸のアニメを自ら作り、世界中の人に、「アニメはスゴイ」と発信しつづけるアニメ伝道おじさんになる。それだと一本筋が通るじゃないですか。やっぱり怒られそうですが。

 本を読む行為って「自分を読む」ということですね。肯定するにしろ否定するにしろ。それって自分探しとか自己啓発とか、己を知るとか、そんなもんじゃないんです。何か得るものがあるとすれば、今のままでいいじゃん、ということを保証するような、だらしないもんだと思いますけど。

──今回は「破曉」、まだ一日が始まったばかりの明け方ですが、続編を予定されているのでしょうか。

 単行本化が視野に入った段階で、このまま雑誌掲載を続けるかどうか担当編集者や編集長に打診してみたんです。ぼくは一巻、二巻というスタイルが苦手なんで、単発で終わるなら弔堂を火事にしちゃうとか、まあ終わる話にしなきゃならないし、もし続けるなら何か考えなくちゃいけない。で、続けてくれというので、まあ火事はナシだなと。ただ大きな構造は考えなくちゃいけなくて、春夏秋冬のようなものに仮託するというのを考えたんですが、よい言葉がない。で、朝、昼、夕、夜で構成してみたんですが、それって四冊かよと後悔しています(笑)。次のシリーズはスタイルは同じですがレギュラー客が替わって、かなりフェミニンな感じになるかと思います。開始時期は決めてませんが、その時はよろしくお願いします。

  • 江戸と明治の端境期
  • 時代の流れに乗れない主人公
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