![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() 【第4回】
――沙漠と性交中に「ママ」と連呼する解は、マザコン男として描かれます。ヒッチコックの『サイコ』の影響下にある作品なのではと思いつつ読み進めていきましたが、解が沙漠とともに郷里に帰る途中で立ち寄った喫茶店の名前が「Cafe Norman Bates」。アンソニー・バーキンス演じるノーマン・ベイツの名を背負った喫茶店の登場によって、『サイコ』との直接的な関係が明らかになります。
桜庭 人の心と行動の恐ろしさ自体が謎であることを押しだしたサスペンスにしたかったので、サイコサスペンスの原点である『サイコ』を、参照されるべき大きな作品として意識しました。『サイコ』や『赤いアモーレ』など、映画の影響が強いことに改めて気づかされますね。普段は小説が下敷きになる場合が多いのですが。
――解はなぜ沙漠を殺したのか、疑問が残ります。三百万円のお金を惜しんだためだけではないと思われます。解は整形前の沙漠の顔を見て「ママに似てる」と感じます。沙漠殺しは母殺しを含んでいるのではないでしょうか。 桜庭 母親が亡くなった後も、解はその死にとらわれています。沙漠殺しは疑似的な母殺しであるし、広い意味では奥さん殺しであるかもしれません。解にとって女性とは抑圧者なのですね。沙漠を殺した後、それまでぎくしゃく感のあった奥さんとうまくいき始めるのも、そうした理由です。沙漠の頭部だけを残して「月の小屋」を立ち去る際に、解は「沙漠が俺の身代わりになって、過去から襲いかかってくるおそろしい小屋に囚われてくれたのだという気がした」という思いを吐露します。殺人現場に頭部を残して立ち去るのは、犯人にとって危険な行為です。しかしそうした危険を冒しても、身代わりを置いて逃げることで得られる精神的な安定を重視したわけですね。
――「月の小屋」に向かう車中で、解は沙漠を突然殴ります。その後、沙漠の視界はマゼンタの色に彩られます。さらに沙漠は頭痛と吐き気に襲われます。あの場面で、沙漠は半ば死の世界に足を踏み入れています。 桜庭 下北半島の資料を調べた際に、きれいな写真があったので印刷したら、なぜか真っ赤に出力されたんです。仕事場のインクジェットプリンターが古くて、マゼンタのインクしか出力されなかった。海とか島が全部赤いその写真を見て、怖いと思いました。赤ってそんなに怖い色ではありませんが、プリンタのインクのマゼンタだから、夕陽の赤とかとは違う絵の具で塗りつぶしたような人工的な赤なんですね。こんなふうに風景が見えたら怖いだろうなぁ、と。マゼンタの風景とは、心は生きているけれど、体は死んでいる沙漠の状況を暗示していると思います。 ――白井沙漠という命名の仕方は、きわめて桜庭さん的だと思います。白井沙漠は異なる人物の名前であり、本名は別にあることが後に判明しますが、白井沙漠に重ねられた「あるべき自己イメージ」への自己同一化は切実でシリアスです。 桜庭 子供の頃にかわいい名前の女の子と知りあいになると、うらやましく感じた記憶があります。「誰もが平凡な人生に耐えている」と書きましたが、沙漠は平凡な人生に耐えつつ特別な人生を夢見るんですね。私の小説の中には変わった名前を持った人物が登場します。彼らはその名前のように変わった人生を生きて、死んでいきます。『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』は、特別な名前を持った女の子が平凡な名前の主人公の前に現れ、特別な名前を持った子が死んでいく物語でした。傍観者として平凡な名前を持った子がいたわけですけれど、今回は、特別な名前を持つ子にあこがれた平凡な名前の子が、特別な名前を名乗ったことによって殺されてしまう物語といえます。特別な名前を名乗る行為は、全身整形を施す行為と少し似ているかもしれません。外側を変えることで内側が変わると思いこんでしまう。そこに沙漠の悲劇はあります。 ――解は事件に気づきうる人物、佐藤や里子の動向に無関心です。沙漠との情事の様子を収めた動画が入ったSDメモリーカードや、沙漠の切断されたひと差し指が入った瓶を、駅のくず入れに躊躇することなく捨ててしまう。自分が捕まることに無防備な行動をとり続けます。彼の行動の中心には、証拠が露見し捕まることで自己処罰を遂げたい気持ちがあったのではないでしょうか。 桜庭 沙漠の頭部も置きっぱなし、SDカードも捨てっぱなし、自分と沙漠の関係を知りうる人への口止めもほったらかし。エピローグ、「二〇二〇年六月」を付ける予定はなかったのですが、ある種の答えが欲しいという指摘があって付け加えました。解は捕まった方が楽になったはずですが、捕まらないことで罰を受ける物語なのではないか、と考えたんです。殺された側が殺されることによって救われる物語で、沙漠にとってそれが救済を意味します。一方、捕まらないことによって夫婦仲もよくなり、そのことで罰を受け続けるのが解なんですね。完全犯罪を目論んだ人であるなら、読者も絶対に捕まってほしいと願うでしょうが、これだけ隙をつくっているのにも関わらず、なお捕まらない。いちばん酷い目に遭っているのが解なんですね。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |