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![]() 【第3回】
――沙漠が負の部分を抱えた女性であるなら、正の側、お金を持つ側にあるのが吉野解です。しかしその解にしても、資産家である妻の由乃の実家に依存した生活を送り、解自身は自由に使えるお金を持っていません。その点では、沙漠に近いといえます。
桜庭 これだけ経済状況が逼迫していても、得をしている人は絶対にいるはずです。その人たちにはその人たちなりのお金に対する哲学があるにちがいない。持つ側の考えも入れないと、全体は見えません。解の義父は大手ゼネコンの幹部で資産家ですが、解を含む若い世代を軽蔑しています。その視点まで降りて考えることで見えてくる世界があると、私は考えます。 ――小学校時代に歯列矯正をした由乃は、金持ちの象徴です。沙漠は全身美容整形を行いますが、歯列矯正だけは行わず、乱杭歯のままです。由乃と沙漠の身体的な対照性に、貧富や格差の問題は集約しています。 桜庭 とある知人男性が裕福な家の人なのですが、中学時代に歯列矯正をしてすごく痛かったという話を聞いて、びっくりしたことがあります。田舎で歯列矯正している子なんて見たことも聞いたこともない(笑)。女の子ならわかるけれど男の子だったので、なおさら驚きました。 ――泪亭の大家である佐藤のポジションは異質です。エドワード・M・ケネディの運命に自身を重ねる佐藤の役割をどのようにとらえておられますか。 桜庭 常々、物語には「外側から語る人」が必要だと考えています。外から語る存在によって、読者の目線が確保できるし、物語が重層化すると思います。特に今回、佐藤は経済の仕組みなどを解説する人として重要でした。解と由乃の学生時代からの友人である里子は、過去を語る係として設定されています。 ――部屋のシーンの多さに目を引かれました。「地獄部屋」と形容される泪亭と、「楽園(パラダイス)」と表現される解の邸宅は対照性を帯びています。「宇宙船のコックピット」と形容される解と由乃の寝室の脇には、三畳ほどの解の小さな書斎部屋があります。解が「月の家」と呼ぶ実家の丸太小屋は、「ママの胎内のような」「閉ざされた庭」として認識されます。それぞれの場所の持つ意味の違いが描き分けられています。 桜庭 場所場所で異なる空気感があって、ある人物を描く時に必ずその人物に即した空間をつくっています。沙漠だったら古書店の二階にある部屋、解だったらコックピットの隣にある小さな楽園、里子だったら仲間と共有する小さな翻訳事務所と自分が住む二間の部屋というふうに。場所込みの人物造形です。 ――「生涯に持つ三つの家」のエピソードが興味深かったです。子供の頃に家族と住んだ家、大人になりながら住む家、そして大人になって新しい家族と住む家と、人は生涯に三つの家に住む。この考えに従えば、家族とは空間を共有する存在と定義できそうです。血縁を重視したこれまでの桜庭さんの関心が、新しい場所に移行しているということでしょうか。 桜庭 確かに、これまではもっとダイレクトに血縁の問題を描いてきました。今回は、解の家を例に出せば、大きな器としての家の空間に他者が集まって生活し、家族を構成しているようにも見えます。ばらばらの個人が家という場所において結束され家族を構成する。つまり個人がよりばらばらになってきているイメージ。家族間のつながりも家があっての故だし、家族以外の人間関係のつながりも希薄なものとして書いていると思います。テーマがお金なので、人間関係をより殺伐とした乾いたものとして描こうとした気持ちが強かったのかもしれないですね。 |
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