〈書楼弔堂〉は「徹子の部屋」?
──話の中心である弔堂の設定は、どのように決められたんですか。
弔堂は時空を超えているという設定にしたかったんですけどね。幻のように立ち現れて、四作とも別の場所にある。小僧の撓もずっと小僧で年を取らない。でも、それだとファンタジーになってしまい、僕の手に余るからやめました。小僧にも五歳ずつ年を取らせて(笑)、主人にも人としての属性を与えましたが、還俗した僧侶という以外は作中であまり触れていませんね。ただ僕の小説にはたくさんしゃべる物知りおやじがよく出てくるので、他の登場人物、たとえば京極堂なんかとはありようを変えなくちゃいけない。弔堂は人の憑き物を落とすような、おせっかいな真似はしません。
──弔堂の主人は物語の中心ではないんですね。彼が来訪者にそれぞれの一冊を薦めるというのが物語の定型です。来客はみな歴史上の実在する人物ですが、それはなぜですか。
もちろん実在の人物ではなくても成り立つんですけどね。渡す本を先に決めて、その本によってなんとかなるような人を創作すればいいわけですから。ただ、それだとなんでもありになる。答えを知ってから問題を作るようなもので、これはつまらない。実在の人物の場合、その背景も設定も勝手には変えられないですね。その強い縛りに、いかにもミスマッチな選書を当てるほうが、まだ面白かろうと。『破曉』の第一話では視力を失った浮世絵師に英語のノートを渡してますからね。絶対読めない(笑)。初回で振り切ったので後は楽になりました。とはいえ、毎回弔堂に有名人が来るという「徹子の部屋」スタイルですからね、毎回徹子さんが、いらっしゃいと出迎えるだけでは読者も飽きますよね。誰が来ようと意外性もなにもない。そこで『炎昼』では視点人物以外の常連客で縦筋を作ったり、『待宵』では買わないで逆に売りに来る客を出したりしてみました。そういう振れ幅を持たせないと保たなかったでしょうね。『霜夜』に到っては、主より客の影響力の方が強い。弔堂はもう単なる装置でしかない。弔堂が書籍流通を体現した存在だとしたら、もう彼がいなくても成立する時代になったんです。彼は用無しになるべきで。
──今回は各話の題名も「活字」「複製」「蒐集」「永世」「黎明」「誕生」と、どことなく大量印刷と流通の始まりを暗示するものになっていますね。
『破曉』の冒頭では丁稚が車を引っ張って本を買いに歩いています。つまり取次の仕事をしているんですが、『霜夜』では取次会社ができているから、彼らの出番はない。一作ごとに五年時間が経つという決まりにしたのは、そうした変化をわかりやすくするためでもありました。実は、最後に弔堂を火事で全焼させたかったのですが、編集者から反対されて沙汰止みに。ちょっと燃やしたかったですね(笑)。