広末涼子写真集『C'est la Vie』

INTERVIEW

インタビュー
広末涼子写真集『C'est la Vie』発売記念
INTERVIEW後編
いい笑顔をしてるってことと(笑)、
印刷される写真の贅沢感を
思い出させてもらいました

取材・文/唐澤和也 撮影/野﨑慧嗣
ヘア&メイク/陶山恵実 スタイリスト/竹岡千恵

インタビュー前編はこちら
写真表現に通じるものは、
舞台かもしれない

広末涼子さんは「写真が好き」なのだという。

14歳でデビューした無邪気なその頃は、カメラマンが発する「いいね!」「かわいいね!」という言葉だけでもうれしかったし、「こんなに最初から自然に動ける子なんていないよ!」と褒められた日には、うれしすぎて天にものぼるような心持ちだったそうだ。ちなみに、「そんなことねぇ、誰にでも言ってるのよ」とクールにたしなめたのは、広末さんの母だったわけだが、それでもいまだに、広末さんは「写真が好き」なのだという。

なぜ、彼女は写真が好きなのか。好きの向こう側には、撮られるということの難しさや魅力があるのではないか。キーワードとして〝無意識〟を選びながら、広末さんは言葉を続けた。


広末「10代の頃は常に写真を撮られていました。取材でもそうだし、なんなら移動中や現場もずっと撮ってくださるカメラマンさんもいて。それが『NO MAKE』という写真集になったりもしました。だから、撮られることを意識しているようで、実は無意識だったのかもしれないですね。そのせいか、〝私の無意識は、本当の意味での無意識ではないのでは?〟と考えることはいまだにあります。ふだんの生活でも〝こういう人でありたい〟とか〝こういう姿じゃないと〟みたいな視点というか、常にもうひとつの目で自分を見ているような気がします。それって、職業病だと思っているんです。本当の意味で無意識な状態って、ものすごく家事を頑張ってる時ぐらいですかね。家事に夢中になっている時って、見た目もそうですけど、なりふり構っていられないですから(笑)。

自意識過剰かもしれないですけど、若い時から常に見られている意識がありました。現場はもちろんのこと、外を歩いていてもそうだし、いつ写真を撮られているかわからない。通学時も撮られてましたし、こっそりデートに行っても撮られましたし、いまでもスーパーで買い物してるところを撮られるし。私が買い物しているところの写真なんて意味ある?とは思うんですけどね(笑)」

読者である私たちは忘れがちだけれど、著名人にとっての〝写真を撮られる〟という行為には、ふたつの側面があるということ。プライベートの様子を写真に撮られてしまうのは、本人からすればネガティブな側面以外のなにものでもない。

それでも、広末さんは「写真が好き」だという。もちろん、週刊誌やパパラッチの撮る写真は別として。ならば、フォーカスすべきは被写体として能動的に撮られるポジティブな側面の写真表現について。写真表現の〝ならでは〟とはなんなのか。役者の仕事ならば台本がある。共演者との呼吸もある。監督の演出意図もあるだろう。もちろん、写真表現にもカメラマンとの呼吸や演出意図も存在するだろうが、役者の仕事と写真表現の違いについて、問いを重ねてみる。

広末「写真の場合は、カメラの前にいる私なりのルールみたいなものがないんですよね。そこが役者としての表現とは違うところ。役者の仕事には台本があって、自分なりの答えのようなものを見つけて、そこに立つ。写真の場合は、その瞬間瞬間なんです。たとえば雑誌の撮影だとして、あ、このページは洋服を見せたいんだなとか、メイクさんはこうしてほしいんだなとか、カメラマンさんはこういう表情が撮りたいのかもしれないとか、正解はわからないし感覚でしかないんだけど。でも、なんかわかる気がするんです。

もし、役者の仕事と写真表現に通じるものがあるとすれば、それは舞台かもしれない。舞台って引きの画ひとつですよね。テレビドラマや映画の現場のようには、カメラが寄ってくれたり引いてくれたりの演出がない。だから、舞台で演じるのは空間の把握が大切だと教わった時に、演じるって感情だけじゃないと思ったんですね。それって写真に近いかもしれないって感じたんです。なんでなんですかね。不思議なんですけど。

でもやっぱり、舞台の話も感覚的なことだし、言葉ではうまく説明できないんですけどね。もうひとつ、カメラマンさんに『あの時、どうしてああいうことができたの?』と聞かれたことがあるんです。その撮影の時も感覚で動いていたから自覚がなかったんですけど、聞かれて考えて思い浮かんだのが、サービス精神という言葉でした。〝ただ歩いているだけじゃつまらない。あ、海だから濡れたらおもしろいかな?〟とか自然と動いている自分に気づいて。カメラマンさんの目線というか、被写体にはこうあってほしいだろうなぁという表情とか形を、ちょっと第三者的に見ている自分がいるのかもしれないですね」

笑顔と紙に印刷される
写真という贅沢感が印象的

写真集『C'est la Vie』を観て、いち読者として、ひとつだけ選んでよいキーワードがあるとするなら、それは〝笑顔のチカラ〟だ。ある写真では、10代の頃と変わらない広末さんの眩しい笑顔を見ているうちに、なぜだか自分までもがあの頃へと記憶がさかのぼり、ある写真では、どうすればこんなにも底抜けに笑えるのかと不思議に感じて、こっそりと真似をしたりもした。

そして、なにより笑顔の数の多さ。

『C'est la Vie』の掲載総カット数は126、その内訳として笑顔の写真は49〜57カットだった。その数に幅があるのは、最初は笑顔に見えなかったものが何度目かには笑っているように感じられたり、笑顔だと思っていた写真がある瞬間には哀しくも見えたり、ページをめくる度に発見があったからだ。

彼女自身が考える笑顔のチカラについては、初のエッセイ集『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』の中でも<この世で一番すてきなことは笑うことだって本気で思います/オードリー・ヘップバーン>と大女優の名言を綴っている。本という言語表現でも、写真集というビジュアル表現でも、共通テーマのひとつであった〝笑顔〟について、ハニカミながら、広末さんが話し始める。


広末「じつは今日はじめて、色校正という実際の紙に印刷されたもので全部の写真を見せてもらったんですけど、ふたつのことを思いました。

ひとつは完全に手前味噌なんですけど、なかなかいい笑顔をしてるなって(笑)。『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』でも書かせてもらったんですけど、笑顔って連鎖反応するものだと私は感じていて。小学生の時だったかな。自分が笑っていればみんなも笑っていることに気づいて、大発見だと思ったんです。だから、この写真集でこれだけ私が笑っていると見てくれる方もちょっとは笑ってくれるかなって思ったんです。

もうひとつは、紙に印刷される贅沢感を思い出させてもらいました。写真だって。スマホで見るものとはやっぱり違っていて、美しかったんです。自分のことよりも写真を見てもらえるなって。それがうれしかったです」


コロナ禍の3年間で改めて思った日常の幸せ

インタビュー現場での広末涼子さんもまた、よく笑う人だ。快活で、明瞭で、質問から自己の言葉を紡ぐまでのストロークがかなり短かったりする。つまり、回答に悩んだり、言葉に詰まることがほぼないのだけれど、ただひとつだけ「広末涼子にとってのふつうとは?」という質問に対しては、かなりの時間をかけて、自分の本当の気持ちを探るように考えていた。

たしかに、ふつうって、本当は難しい。

ふつうということ。ふつうの日常、当たり前のこと。ふつうってなんなのだろう?

写真集『C'est la Vie』の制作がスタートした2020年夏から発売まで約2年半の月日もまた、私たちの誰もが〝ふつうとはなんぞや?〟という自問自答を繰り返した時間でもあった。女優であると同時に母でもある広末涼子さんにとってのコロナ禍の記憶は、どのようなものとして残されているのだろうか。

広末「役者という仕事の性質かもしれませんが、日常への感謝みたいなものはコロナ禍よりも前から実感はしていたんです。役を通じて人の死に立ち会ったり、自分の余命を考えたり、非日常な経験をしたり。演じることで、通常の人生では何度もない体験をさせてもらっているので、日常に帰った時にすごくありがたいというか。物語のなかでその人の人生のピークを演じさせてもらっているから、なにげない日常をより感じられるんでしょうね。仕事から家に戻って子どもの寝顔を見て涙が出ることはしょっちゅうありました。

今回のコロナ禍では、こんなにも長い時間を家族と離れずにすごせたことが人生のなかではじめてだったので、本当にいい時間をもらえたと感じました。時間に追われないこと、仕事に追われないこと、それだけでこんなにできることがあるんだと。もちろん、仕事の面では先が見えない不安な時期ではありました。その頃の役者仲間との会話で一番印象的だったのは、『生身の人間の無力さを感じるね』という言葉でした。

それでも私は、やっぱり、いい時間をもらえたと思うんです。日常というものが、こんなにも幸せなんだってことに、立ち止まらないと気づけなかったと思います」

〝なにげない日常〟のありがたさを考えずにはいられなかった出来事は、私たち日本人にとってはコロナ禍がはじめてのことではない。インタビュー前編で広末さんは「芝居とは別の表現や、存在価値みたいなものを自分の中に見出していかなくてはいけない年齢」と考えていた時期にこの写真集のオファーがあったことを振り返っている。そんなことを考えるようになった原点も、あの非日常体験が大きかったという。

2011年の東日本大震災である。

広末「こんなにも自分にはできることがないんだという、もしかしたらはじめて感じた出来事だったかもしれないです。物資なのか、自分が足を運ぶのかとか、なにができるんだろうってたくさん考えたのにすぐには動けなくて。本当になにもできないんだ……と思って、すごく情けなくなって。うん。がっかりしたんです。

でも、はじめて被災地に連れて行ってもらった時に、ただ握手をして、写真を一緒に撮っただけで泣いてくれる人がいて、私にとっては驚きだったんです。なにができるんだろうとか、なにかしなきゃとか思ってた自分こそ、なにしてたんだろうって。私がそこにいるだけで喜んでくれたり、元気になってくれる人がいる。私はそういうありがたい立場にいさせてもらっていたんだと。改めて、この仕事をずっと続けたいと思いました。

たとえばですけど『この人に会ったことあるんだよ』とテレビを見て子どもに言ってもらえたり、『この人も頑張っているから、私も頑張ろう』と思ってもらえるなら。そういうことこそ、私が小さい時からやりたかったことだったと再確認させられたんです。続けることに意味を見出せたとも言えると思います。どういう役をやらなきゃいけないだとか、こういうイメージを見せたいとかだけじゃなくて、存在価値みたいなもの。続けていくことでそういうことも人に受け取ってもらえるかもしれない。そんな可能性のある、ありがたい仕事なんだなって教えてもらえた出来事でした」

そして、言葉の時刻は、2011年から2022年へ。今回のインタビューで、彼女が唯一深く思考した問い「広末涼子にとってのふつうとは?」に対する言葉はこのようなものだった。

広末「……ふつうとは? ……ふつうとは? ……ふつうかぁ。ふつうとは、私にとっては〝等身大の自分〟ですかね。女優だからとか、この年齢だとかの肩書きだけではない、リアルな自分のこと。考えてそんな答えにたどり着いたのは、デビューの頃からふつうの感覚を絶対に失いたくないと思ってきたからかもしれないです。

等身大の自分って、見失いがちですよね。私の場合、見失った時にそれを教えてくれるのが、ずっと近くで見てくれてきた学生時代からの友達だったり、育ててくれた両親や自分の家族だったり、現場のスタッフさんや、ママ友とかだと思うんです。そばにいてくれる人たちがリアルな私を映し出してくれる。まるで、鏡のように。私自身が等身大の自分を見失ったとしてもその人たちに映った自分を見て気づけるものが、きっとあると思うんです。だから私は、ふつうの感覚を失わずにこれからも生きていきたいです」


出会った人が握手するだけで涙を流してくれる特別な人でありながら、ふつうであることを絶対に手放さなかった人でもある広末涼子さん。期せずしてではあるけれど、ドキュメントな写真集でもある『C'est la Vie』には、そんな特別でふつうな人の日々が、写真として残されている。

インタビューの最後に「撮り直したい1枚はありますか?」と聞くと、「ないです」と即答してからイタズラっぽく笑った。そして、「これが私です、っていう写真集になったので。10年後や20年後だったら撮り直したいって思うかもしれないけど、いまの私に見せられるものはこれが一番ですから」と、もう一度笑った。

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プロフィール

1980年7月18日生まれ、高知県出身。
94年、第一回クレアラシル『ぴかぴかフェイスコンテスト』グランプリ獲得後、同CMに出演しデビュー。以降、映画・ドラマ・CMなど第一線で活躍中。2022年には、初の書き下ろしエッセイ『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』(宝島社)も刊行。

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