広末涼子さんの最新写真集『C'est la Vie』を拝見して、中学2年生の私が体験した感動と衝撃がよみがえりました。
地元の書店に、広末涼子さんの写真集『R』と『H』が並んでいました。1996年の発売からは時が経っていた2冊の写真集。当時、中学2年生の私は、「こんなにかわいくて透明感のあるフレッシュな女性がいるんだ!」と衝撃を受けたのを覚えています。その時から広末涼子さんは私の憧れであり、なりたい女性像になりました。憧れのあまり髪をショートカットにしたことも。ただただ「好き!」という気持ちで、写真集を開いては感動し、眺めては感激し、の繰り返し。当時好きだった同級生の男の子の写真なんかよりもずっと眺めていたと思います。恋以上に恋。あの感動を超える写真集はない───そう断言できるほど、大好きな写真集なのです。
2022年の『C'est la Vie』。『R』『H』からは25年以上経っているはずなのに、それだけの時を経たとは到底思えないほどのビジュアルの美しさと、なによりもその透明感に、私は中学2年生の以来の衝撃を受けました。
広末涼子さんの透明感とは、年齢を重ねても“広末さんだけが持ちうる特別な透明感”なのだということを理解し、感動したのです。“純真無垢”“まっさら”、そんな『R』『H』当時の透明感も保ちつつ、大人の色気を含んだ、素敵な人生を歩んでいる充実感のようなものも透けてみえるような透明感とでも言えばよいのでしょうか。
印象的な写真、大好きな写真をあげればキリがありません。
たとえばプールでの写真。水や白壁と一体化しているような透明感には驚きと嬉しさがこみ上げてきました。海からの風を受け、髪が顔にかかるアップの写真も大好き。『R』や『H』でも広末さんのショートカットが風になびく写真が大好きだったので、パッとこの写真が目に飛び込んだ瞬間、「あ、これは!」とドキッとしました。夜の海の写真は、25年前の写真集に入っていてもなんの違和感もないと感じるほどの瑞々しさに、思わず息をのみました。とにかく、写真の一枚一枚が、かつて私が観てきた写真の記憶とリンクしてくるのです。もちろん同じというわけではありません。大人の女性としての表現力や、今しか撮れない写真ばかり。それなのに、当時感じた、フレッシュさや瑞々しさが写真からにじみ出てきているのです。
写真集というと、思い浮かべるのは10代や20代の方のものが大半だと思いますし、書店で見かける多くがこの年代の女性のものです。大人の女性の写真集というものは少ない気がしますし、あるとしても、セクシーさを際立たせたものが多く、同性からすれば少し鑑賞しづらい印象もあります。その意味でも、『C'est la Vie』は、広末さんが写真集界の新しい道を拓いてくれ、大人の女性のモチベーションにもなる作品だと私は感じました。なにより広末涼子さんに、写真で出会ったファンのひとりとして、文章などもなく、これほどまでに写真だけの写真集にしてくださったことがすごく嬉しかったのです。
広末さんは今回の写真集について、こんな言葉を寄せていました。
「男性にも女性にも、『年齢を重ねることも悪くないかもな!』なんて思ってもらえたら本望です」
その通り、結婚や出産を経た女性のひとりでもある広末さんの、この眩しさと美しさは希望だと思いました。もちろん広末涼子という存在は特別なのですが、それだけではなく、この写真集は、誰しもが内面から輝けるということを広末さん自身が表現してくれているような気がするのです。なんだかそんな生き方さえも教えてくれるような、いろんなパワーを秘めている写真集。広末涼子という中学2年生の頃の憧れの存在は、今なお、そしてこれからも憧れの存在であり続け、追いかけていきたい人なのでした。