蔡國強といわき市の人たち

川内 私が書いた『空をゆく巨人』は、いわき市の会社経営者・志賀忠重さんと蔡さん、二人の物語です。
 私と志賀さんの出会いは2015年でした。あるとき福島県に行く用事があり、ついでに何か面白いものを取材したいと色々聞いていたら、「いわき回廊美術館」というところがあると。調べると、入場料無料で野外にあって、入場時間も夜明けから日没までみたいに書いてある。
 何か自由で面白そうだなと思って電話をすると、出たのが志賀さんだった。取材を申し込んだら、「取材されたら人がいっぱい来るようになる。ここは駐車場もトイレもないから、そんなのだめだ」といわれ、「じゃあ、来たら迷惑だと思いっきり書くので」といったら、「ああ、それならいいか」ということになって(笑)。実際に行くと、志賀さんはすごく歓迎してくれて、3、4時間ぐらいお話を伺ったんです。蔡さんとの出会いから始まり、この美術館がどうやってできたのかなど。「いわきチーム」といわれるいわき市のボランティアの人たちも含め、彼らがどうやってアートというものをつくってきたのかみたいな話を聞いたときに、とても興味が湧いたんです。
 「いわき回廊美術館」は山の上にあり、うねうねした形で、中国の回廊をイメージしています。蔡さんがササッと描いたスケッチを見て、志賀さんたちが「ああ、こんな感じかな」みたいにいいながら、4カ月かけて、400人のボランティアと一緒につくったのがこの美術館だと聞いて、ちょっと想像を超えているなと感じました。回廊美術館は全長166メートルもあるんです。敷地内には他にも蔡さんの作品があって、「再生の搭」と呼ばれるものも高さ23メートルと、ちょっとしたビルぐらいの高さです。
 志賀さんと蔡さんの出会いは30年前にさかのぼります。当時、蔡さんは本当に無名で、作品を持って売りに行っても見てももらえない。そんなとき、いわきでギャラリーをやっていた藤田忠平さんが、たまたま蔡さんに「いわきで個展を開いてみませんか」と声をかけたのが最初の縁でした。藤田さんは「この人は絶対に有名になる」と周りの人に作品の購入を勧めていて、アートに全く興味がなかった志賀さんも、初期作品を200万円くらいで7枚ほど買ったそうです。蔡さんが初対面で、「どうして僕の作品を買ってくれたんですか」と聞いたら、志賀さんは「忠平に頼まれたからだ」と(笑)。でも、蔡さんはすごくおおらかな性格なので、「ああ、そうですか、ハハハッ」と笑って、二人はお友達になったということらしいです。
 その後何年か普通のお友達づき合いが続いていたんですが、1994年に蔡さんがいわき市立美術館で個展を開くことになったとき、立ち上がったのが志賀さんたちでした。予算がほとんどないなかで作品をつくるというときに、蔡さんはすごくむちゃな注文をして、それを志賀さんたちが何とか実現させたんです。
 このときの作品の一つが船(「廻光─龍骨」)です。蔡さんの故郷、泉州は、海のシルクロードの起点として栄えたといわれています。蔡さんは小さい頃からたくさん往来する船を見ていて、とても船へのこだわりがあり、よく作品のモチーフに使われています。このとき使用したのは、いわきの海岸から引き揚げられた廃船。この海岸は昔の木造船が潮の関係で流れついてしまう不思議な場所で、それを見た蔡さんが、「この船を使いたい」といいだした。半分砂に埋まった船を引き揚げるのは非常に大変な作業で、志賀さんたちは大きいショベルカーなどを使い、真冬の海岸で苦労して引き揚げたんです。
 もう一つの大変な作品が「地平線プロジェクト」。沖合2.5キロメートルのところに全長5キロメートルの導火線を浮かべて爆発させ、地球の輪郭を描くという作品です。海の上で火薬を爆発させるのは非常に困難。でも工夫して、野菜を入れる農業用の長いビニール袋を二重にして導火線を包んで爆発させたそうです。
逢坂 私は水戸から車を飛ばして見に行きました! 導火線を市民に切り売りして資金を調達したんですよね。
川内 確か1メートル1000円。しかも、導火線を詰めるのも市民たち。火気厳禁だから冬のすごく寒い倉庫で一週間くらい、皆必死に作業したらしいです。
逢坂 横浜の個展でも多くのボランティアの方に参加していただきましたが、不思議と蔡さんを支援する輪ができるんですよね。
川内 でも、蔡さんはカリスマティックに周囲を駆り立てる感じじゃない。
逢坂 「逢坂さん、これ、欲しいですね。あるといいですね」みたいな。
川内 そう(笑)。このときから、蔡さんと志賀さんたちの共同制作が始まります。あるとき蔡さんが、「もう一艘、船が欲しいです」といって、志賀さんたちが引き揚げた船が、「リフレクション─いわきからの贈り物」という作品。これは蔡さんの作品のなかでも非常に人気で、世界七カ国の美術館をめぐり、少なくとも130万人ぐらいの人が鑑賞したといわれています。船の組み立ては、志賀さんたち「いわきチーム」が現地で行うんです。
逢坂 「いわきチーム」には、アートの関係者がいないんですよね。
川内 ギャラリーいわきの藤田さんがいますが、現代美術が専門ではないので、面白いメンバーですね。
 3・11東日本大震災での東京電力福島第一原発事故の後、志賀さんは、地域の人が故郷への誇りを回復し、未来の子どもたちに山一面の桜を残すため、9万9000本の桜を植えるという「いわき万本桜プロジェクト」を始めました。2013年には「いわき回廊美術館」が完成し、志賀さんは現在もこのプロジェクトに邁進されています。
荻上 お二人のお話、すごく楽しかったです。通常、スモールコミュニティで何か確かな記録をつくる場合、そのコミュニティならではの記憶をもとに自己定義していくと思うんです。でも、蔡さんといわきの人たちとの交流においては、コミュニティの外の人間である蔡さんが、まずものすごいビッグビジョンを持ってくる。そのやり方は結構大ざっぱなんだけど、その場のコミュニティを大事にしながらアートをつくっていく。プロセスや完成した展示物、そして、それに関わるチームの意識が変化していくさまも、全て蔡さんによってもたらされている。そこがとてもユニークだなと思いました。

おおさか・えりこ
●東京都生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業、芸術学専攻。国際交流基金、ICA名古屋を経て、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員。その後、同センター芸術監督、森美術館アーティスティック・ディレクターを歴任。2009年に横浜美術館館長に就任。11年から横浜美術館を主会場とした横浜トリエンナーレに関わる。