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インタビュー

猫だけに、自由気まま。
キャラクターたちが勝手に動いて、世界を拡げてくれました

齢20を過ぎた猫たちは、尻尾が割れ、人語を解し、人に化けるなどの特異な能力を備えた妖に変化する。そして、その者たちの中から、最強の妖力を誇る〝猫君〟が現れる─。

人間と妖怪たちが手を組み謎に立ち向かう大人気時代ファンタジー「しゃばけ」シリーズなど、数々の愉快な小説を送り出す作家・畠中恵さんが新たな物語の主役に据えたのは、古典文学や民間伝承の中に登場する「猫又」でした。

江戸時代、猫又たちが結集する「猫宿」が江戸城の中にあった?そんな奇想天外な設定から幕を開けるのは、変化したての猫又たちの成長物語であり、彼らを見守る人や、人でないものたちとのつながりであり、化かし合いであり……。

何より、描かれる猫又たちのかわいさにときめき、愛しさに心がぽっと温まる。猫好きも、それほどでもない人も、思わず頰を緩めてしまうに違いない、愉快な世界が広がります。

聞き手・構成=大谷道子

散歩コースから生まれた物語

──「しゃばけ」シリーズなど、人間と妖怪が心を通じ合わせる物語を数々生み出してこられました。今作『猫君』は、猫又たちの物語。日常、猫との接点はあるのですか?

 家では飼っていませんが、以前、漫画家さんのアシスタントをしていた頃に、先生方が飼っていた猫の世話をしていたことがありました。かわいいですよね、猫。フカフカで、フニャフニャしていて、しかも生意気そうなところがいい。猫の物語を書こうというのは、何がきっかけだったのか……最近、世の猫たちが長生きになってきて、そろそろ猫又になるんじゃないだろうかと思っていたこと、かもしれません。

── 時は江戸時代後期。吉原の髪結い・お香に飼われていた明るい茶色の縞に金目銀目のオッドアイ(=左右の目の色が違うこと)を持つ雄猫・みかんが、飼い主の元を離れるところから物語は始まります。病気で死期を悟ったお香から、お前はまもなく猫又になる、家を出て仲間たちのところへ行かなければならないと告げられるのですが……。

 生まれて20年になるみかんがだんだん若返っている、という描写を冒頭に入れたのですが、猫又になると「猫又一年生」として、また新たな生が始まるというイメージですね。

──その一年生たちが集い、猫又として再教育を受ける学び舎が「猫宿」。それが置かれているのは、なんと江戸城内であるというユニークな設定です。

 実は、散歩コースから思いついたんです。普段、ゲラ(=校正紙)を読んだりする喫茶店までの道として、旧江戸城の中を突っ切っていまして、日々、行ったり来たりしているうちに、ここを舞台にした物語を書いてみたいと思うようになりました。物語の中でみかんたちが通る坂道や、彼らが集まる富士見櫓も実在のもの。「ここから転げ落ちたのかな」「ここで喧嘩をしていたんだろうな」などと、歩きながらいろいろと考えて、物語を拡げていきました。

──猫又たちは「鍵の玉」と呼ばれる首輪につける玉をもらい、それを身につけて江戸城の中を行き来します。実際、当時の江戸城の中には猫がたくさんいたのでしょうか。

 飼われていたと思います。猫と、あと、狆のような小さな犬たちも。当時描かれた絵を見てみると、犬はぽってりしていてただただ愛らしいのに対して、猫たちはすらりとしていて、なんだかとても賢そうなんです。実際、昔から鼠を捕る役目があったりもしたので、たぶん抱っこされて可愛がられているだけでなく、働いて重宝されていたんでしょうね。

あの超有名人は「猫又」だった?

──猫宿に集った新米猫又たちは、総勢20匹。猫又たちは江戸を6つの里(陣)に分けて割拠しており、女猫又たちが暮らす「花陣」と「姫陣」、男猫又の縄張りである「祭陣」「武陣」「黄金陣」「学陣」がそれに当たります。

 仕事場の机の前に古い時代の江戸の地図を張っていて、それを見ながら区分けしていきました。2つ3つじゃ少なすぎるし、あまり細かくてもややこしいし……ということで、6つくらいがいいのかな? と。

──新米たちは猫宿で、やはり猫又である教授方の指導を受け鍛錬を始めますが、そのための科目が面白い。人間の姿に化けるための「化け学」、「猫又史」と「人史」に分かれた歴史講義、それに「算術」「猫術」「生きのび術」に「つづり方」と、まさに猫又の寺子屋です。

 猫術や生きのび術などは、たぶん猫の時代にもある程度実地で学んだと思いますが、つづり方だけはどうしようもないですよね。あの手の形状では(笑)。どうやっても人間の姿にならないとできないし、これはやっておかないと人間社会では生きていけないだろうと思ったので、入れました。

──その他にも「薬学」、また、「半蔵」という名の猫又が教える「忍者体術」もあれば、はては「芸事」まで。

 人間世界で生きていくには、やはり芸のひとつでも身につけておかないと……と思いましたが、三味線の皮の出処を考えると、ちょっと怖いですね。

──花陣出身のおてんばな白猫「白花」に、みかんと同じ祭陣出身で狸に似た長毛猫「ぽん太」など、新米猫又たちは見た目も性格も個性豊か。ときに喧嘩もしながら切磋琢磨しますが、その過程で見せる猫らしい仕草の描写がいかにも愛らしく、魅力的です。相手を倒すための「猫拳」は、いわゆる猫パンチ。やたらに集会を開いたり、集まってひとつの毛玉のように丸まって眠ったり……。

 猫パンチは、アシスタント時代にお世話していた猫からくらったことがありました。柔らかい手なのに、すごく痛いんですよね。猫の集会は、以前住んでいた家の傍の駐車場でよく行われていました。同じところにいるのにどうして目をそらしているんだろう? というのが、すごく不思議で。
 編集者からもらった資料も、参考のためいろいろと読みました。たとえば、毛色による猫の性格判断の本など。あとは、動物写真家の方が撮影した猫のドキュメンタリー番組も好きで、よく観ていましたね。それに、猫を祀っている古い神社もいくつか見て回りました。神社の様子から、どんなふうに猫が人々に受け止められてきたかが伝わってくるようでした。

──江戸城内にある猫宿は、将軍公認。そして、その将軍の相談役を務めるのが猫宿の頂点に君臨する「猫宿の長」なのですが、その正体は、日本史上でも屈指の有名人物。驚きました。

 江戸城にいる以上、猫宿の長はやはり将軍とやりとりがあるだろうなと思ったので、それなら思い切り有名な方におさまっていただくのがいいだろうなと……(笑)。その人の生涯を巡る逸話の数々といい、伝えられている気性といい、猫にぴったりだな、と私は思っているのですが。

きっちり作ったプロットを、キャラクターが壊していく

──時の将軍は、11代家斉。歴代の徳川将軍の中ではあまりメジャーな存在ではありませんが、多くの妻妾との間に50人以上もの子女をもうけたことで知られています。彼の時代に物語の舞台を設定したのは、なぜですか?

 当初、猫たちが出てくる物語ならやはり犬を合わせてみたいなと思ったのですが、「生類憐みの令」で知られる綱吉と比べて、家斉は在位した期間がとても長いんですよね。そこが、やはり魅力でした。

──後半の章「あわれみの令」で描かれるのは、その親子関係を発端とし、猫又たちを巻き込んだお家騒動の顚末です。

 家斉にはたくさんの子どもがいましたが、その半分くらいは成人する前に亡くなってしまい、養子に出したりしたこともあって、結局、彼の系統は途絶えてしまったそうです。亡くなった子どもの名前とか、ちゃんと覚えていたのかな? と想像したりして。生き残った子どもたちともあまり仲がよくなかったと伝えられていますが、それは本当かもしれないなと思いました。あれだけの数の子どもがいれば、たとえ親子でも親しくすることはなかったでしょうし。
 そもそも、彼自身も、先代将軍の嫡男がとても早くに亡くなった後、養子に入って後を継いだ身。嫡男が不審な死に方をしたので、きっとさまざまな噂が立ったでしょう。将軍とはいえ、なんとなく寂しかったりしたんじゃないのかな、と、そういうことも書いてみたいと思いました。

──最後の2章「合戦の一」「合戦の二」では、猫宿と6つの陣との対立から、みかんたちは商売をして金を稼ぐ算段をすることになります。先輩猫又たちと経済的合戦を繰り広げ、自立の道を探るのですが、このときに選んだ商売が「運び屋」。猫が運ぶ、というと、あの有名な猫のマークの宅配便をつい思い浮かべてしまいますが……。

 最近はいろんな配送業者さんがいますよね。バイク便とか、Uber Eatsとか。この時代は船という輸送手段はありますが、川から離れた地域だと、荷物を届けるのはなかなか難しいんじゃないか? そんなとき、20年も猫として生きた猫又だったら道も詳しいし、上手に運べるんじゃないか、と考えました。

──悪戦苦闘する新米猫又たちを、猫宿の長をはじめ、猫宿の教授方を務めるベテラン猫又たちがやいのやいのと囃し立てていて、猫宿の中の様子はいかにも楽しそうです。

 そうですね。書き始めた当初、先生たちや猫宿の長などのおじさん、おばさんキャラクターたちは完全に脇役だったんですが、途中から自己主張を始めてどんどん前に出てきました。猫だけに、自分勝手な感じなんです(笑)。

──こんなふうに、当初の予定と違ってキャラクターが思いもかけない方向に動き出すことは、よく起こるのですか?

 ええ。最初に決めておかないと不安なので、キャラクター表やプロットなどはきっちり作っておくほうですが、毎回、書いていく途中でどんどん壊れていきます。それこそ、登場人物がそれぞれ自己主張を始めると、思った方向からずれていくことは、まま起こりますね。
 今回、いちばん自己主張が強かったのは、やはり猫宿の長。でも、人でも妖でも、書いていく中で長く残って活躍するのは、こんなふうに自分で勝手に動くキャラクターだったりします。

ファンタジーは、その時代の「リアル」である

──《一人で六陣を相手に出来る、神のごとき強さの、別格の猫又》である猫君とは、果たして誰なのか? 物語冒頭から追いかけるその謎に、最終段で一つの答えが提示されます。でもこの物語、まだまだ続きがあるのでは? 「まんまこと」「つくもがみ」など、長く執筆されているシリーズが多いですが、書いているときから構想されているのでしょうか。

 とんでもない! 2作目だって、書けるかどうかわからないのに(笑)。『しゃばけ』も、もともとは投稿作品だったので、そういうことはちっとも考えていませんでした。たまたま賞(第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞)の講評をしてくださった先生が「これは書き続けられるだろう」と言ってくださったので続きましたが、まったくの偶然です。
 あとは、私自身が漫画を描いていたことも、少しは影響しているかもしれません。漫画の場合、短編を先に1本描いて、それが好評ならシリーズ化するという続き方が多いですから。

──ファンタジックな物語世界を長く、豊かに書き続けるために、畠中さんが大切にされていることは何でしょう?

 うーん、「半分はリアルである」ということじゃないかな? と思います。江戸時代の人たちは、不思議な存在が本当にいると信じていたのではないかと。たとえば、病気になると鍾馗さま(道教由来の魔除け、厄除けの神像)に祈ったりしますが、あれも、ばかばかしいけど一応祈っておくという感覚ではなく、ほとんどが命がけ。今なら完全にファンタジーだと思えますが、その当時は、現実といっていいくらい生活の中に馴染んでいたはずなんです。
 ですから、その時代を生きた人たちが信じていた世界を誠実に書いていけば、それが現代の読者にとっても普通の世界に見えるんじゃないか……。いつもそう思って書いています。逆に、このほうが都合がいいからと適当に取り入れて書いてしまうと、一気に作りもののほうに転がっていってしまうので、用心しています。

──愛される作品になる理由の一端が摑めた気がします。数多くのシリーズで続編が待たれていますが、今後はどのようなペースで書き進めていくご予定でしょうか。

 私が書けるのは年に3本くらいなのですが、なんとなく『しゃばけ』が年に1本になっていて、『まんまこと』が3年に1本くらい。ですので、『しゃばけ』を入れながら、そのほかの作品を書いていく、という感じでしょうか。猫又たちの物語も、ぜひまた考えてみたいと思っています。

「青春と読書」2020年2月号より