赤い瞳を持ち、死者の霊を見ることができる〝憑きもの落とし〟の浮雲が、絵師を志す青年・八十八(やそはち)とともに幕末に巻き起こる怪事件を解決していく時代ミステリー「浮雲心霊奇譚」。そのシリーズ第三弾『浮雲心霊奇譚 菩薩の理』が発売されます。尊皇攘夷の機運が高まりつつある世相を背景に、死者のよみがえり、地蔵の祟り、赤子の亡霊という三つのミステリーを扱った今作では、少年剣士・宗次郎が活躍する一方、謎の呪術師が暗躍! 加速していくシリーズの行方について、神永学さんにお話をうかがいました。 聞き手・構成=朝宮運河
この舞台ならではの事件を描きたい ──『浮雲心霊奇譚 菩薩の理』には、これまでと同様「~の理」のタイトルで統一されたミステリー三編が収められています。冒頭の「死人の理」では死亡した呉服問屋の娘・お房(ふさ)が幽霊となって出現。主人が調べてみると、お房の死体が墓場から消えていることが明らかになります。土葬の風習が一般的だった時代ならではの事件です。事件や犯罪はその時代の人々の暮らしに直結しています。江戸時代ならではの価値観から生まれてくる物語を描きたいというのは、シリーズを通して意識していることですね。僕が子供の頃、祖父母の田舎では土葬の風習がまだ残っていて、「棺桶の蓋を開けたら、内側に爪跡がついていた」なんていう怖い話をよく聞かされました。江戸時代にはそういう感覚が、もっと身近に存在していたはず。それを現代の視点からミステリーにしているという感じです。
──この奇怪な事件を浮雲と八十八の名コンビが探っていきます。憑きもの落としの浮雲は、単に幽霊が見えるだけではなく、事件の裏にある人間関係を鋭く見抜く、洞察力の持ち主でもあります。幽霊が見えるという体質以外は、普通の人となんら変わりありません。主人公の能力をあれこれ広げてしまうと、何でもありになって、逆に感情移入がしにくくなる。それだけは絶対避けたいと当初から気をつけていました。「心霊探偵八雲」シリーズもそうですが、僕が描きたいのは超能力バトルではなく、事件の中で揺れ動いていく登場人物の心なんです。
──幽霊や死者の復活というホラー要素はありますが、細かい設定や真相にいたる道筋はとても合理的です。そこがミステリーファンにも訴えかける部分ですね。赤い眼で幽霊が見えるという設定についても、一応理屈を用意しているんです。あれは赤外線などを捉えられるカメラのレンズと同じなんです。肉眼では見えない光が、赤い眼というフィルターを通した浮雲には見える。映画学校に通っていた時代、肉眼とレンズでは認識できる光が違うんだとさんざん叩きこまれて。その知識が役に立ちました。
──武士の娘・伊織(いおり)との身分差を気にして恋に消極的になっている八十八に、「身分に縛られていると、大切なものを失(な)くすぞ」と浮雲が忠告するシーンがあります。自由になれ、というメッセージはシリーズを貫くテーマです。当時は今よりはるかに個人を縛るものが多かった時代。身分や家や藩、いろんなものに縛られ、それを当然のものとして受け入れています。町人の八十八と武家の伊織が結婚できないという状況も、当時は誰も疑問に思いません。そこに何ものにも縛られない浮雲が「どうしてなんだ?」と突っ込みを入れて、価値観を揺るがせていく。そこはテーマとして描いている面もありますが、そうすることで江戸時代の価値観が読者に伝わりやすくなる、と思い、入れていますね。
動乱の時代に向けて、物語は動き始めた ──第二話の「地蔵の理」では、死霊に取り憑かれた同心・林太郎(りんたろう)を救うため、浮雲たちは江戸を離れ、八王子付近の首なし地蔵に向かいます。そこで二人を待っていたのは、林太郎の義弟で宗次郎という血気盛んな少年でした。幕末好きならピンとくる名前ですね。ええ、沖田総司ですよね。わざわざ書くまでもないと思って名前は出しませんでしたが、姉の名前がみつで義兄が林太郎なので、知っている人はすぐにわかると思います。どこかで登場させなければと前から考えていて、八王子の事件と絡めてやっと紹介することができました。
──宗次郎は天然理心流の達人で、出会ったばかりの八十八を竹刀で気絶させてしまいます。晩年のあやういイメージとは異なる、生き生きとした沖田像が新鮮でした。宗次郎ならこれくらいのことはするだろうと(笑)。人によって捉え方はさまざまですが、僕にとっての宗次郎はこういうイメージですね。やんちゃで純粋。ひたすら剣の道を追い求めていて、誰に対しても分け隔てがない。だからこそ年長者の土方(ひじかた)歳三や近藤勇(いさみ)とも付き合えたんだと思うんです。当時の資料を見ると十歳そこそこで出稽古に行ったりしているので、剣の腕は相当だったはずですよ。
首なし地蔵で起こった事件には、死者の霊だけでなく、生きた人間のどろどろした欲望も絡んでいました。悪人に命を奪われそうになった八十八を、宗次郎の剣が救います。大勢を相手に描かれる殺陣シーンは、スピーディで迫力満点です!ドラマや映画の影響もあって、天然理心流は力で押していく流派と思われがちですが、実際はまったく違います。よく言われるような、太い木刀を振りまわしたり、ということもしません。間合いの取り方によって機先を制するのが、天然理心流の戦い方。そうした特色は宗次郎の動きにも取り入れるようにしています。連載時にはどうしても駆け足になってしまうので、単行本化にあたってシーンをかなり書き足しました。真剣勝負を文章で表現するのは難しいですが、大きなやり甲斐でもありますね。
──神永さん自身、天然理心流を学ばれているだけに、宗次郎の言動のひとつひとつに説得力がありますね。最近は忙しくてまったく道場に通えていないので、偉そうなことは言えませんが(笑)。相手と向き合った時の緊張感や、剣を握った感触みたいなものは、肌で分かっているつもりです。格好いいだけのチャンバラではなく、そうした雰囲気も伝えていけたらなと。剣術は流派によっても全然違うので、機会があれば他流派との戦いも描いてみたいです。
──「地蔵の理」の事件解決後、浮雲はある人物に対して粋なはからいを見せます。浮雲の優しさが覗けるシーンです。浮雲はあくまで憑きもの落としなので、犯人を捕まえたり、裁いたりする立場にはありません。憑きものを落としたら役目は終了。時には罪人を見逃したり、以前『赤眼(せきがん)の理』で描いたように裏社会の人間に引き渡したりもする。現代ものでは難しいような落としどころがつけられるのも、このシリーズの魅力ですね。浮雲はぶっきらぼうに見えて、底には彼なりの信念を秘めている。せっかく時代小説を書いているので、そうした義理人情の部分も大切にしたいです。
──三話目の「菩薩の理」で描かれるのは、仏師・忠助(ただすけ)のもとに夜ごと赤子の亡霊が現れるという怪奇現象です。やがて事件の背後に浮かんできたのは、蘆屋道雪(あしやどうせつ)という陰陽師の存在。ただならぬ気配を漂わせる道雪の登場は、新たなステージの始まりを予感させます。これまで出してこなかったタイプのキャラクターですね。道雪にとってすべての基準は楽しいかどうか。この世を芝居のように眺めていて、享楽的に悪事に手を染めているんです。土方や近藤はもちろん、浮雲の宿敵である狩野遊山(かのうゆうざん)にしても、自分なりの信念をもとに行動している。道雪は彼らと全然違うポジションにいます。だからこそ今後の動きは未知数。目が離せないキャラクターです。
──「菩薩の理」の中で、道雪は浮雲の素姓について気になることを口にしますね。謎のベールに包まれた浮雲の過去が、読者に明かされる日は来るのでしょうか? 同じく赤い瞳を持った男が登場する「心霊探偵八雲」シリーズとの関連も、神永ファンには気になるところです。浮雲の素姓について、今回道雪の口からある可能性が示されました。それが正しいかどうかは、今後少しずつ明かされていくはずです。八雲との血縁関係については、『さあ、どうでしょう?』と笑って答えるのが一番かなという気がしますね。二つのシリーズは時代背景も魅力もまったく別物ですし、小説の面白さは余白を想像するところにある。これまで同様、作者があえてつながりを明言する必要もないかなと。ただ二つのシリーズが軽くリンクするという程度のお遊びは、チャンスがあればやってみたいです。
──土方歳三、近藤勇に加えて、沖田総司が登場し、物語は少しずつ幕末の動乱期に向けて動き出したようです。前二作に比べて、半歩ほど前に出たという感じでしょうか。この先、歴史的には安政の大地震が起こり、社会はさらなる混乱に陥っていきます。当然、土方たちを取りまく状況も変化してくる。幕末という時代を扱う以上、そうした社会の動きを無視するわけにはいきません。今はそんな展開に向けて、じわじわと間合いを詰めながら、キャラクターを配置して伏線を張っているという段階ですね。
──そうした背景を感じながら、一話完結型のミステリー集としても楽しめる贅沢な一冊。八十八の恋の行方も気になりますし、一刻も早く続きを書いていただきたいシリーズです。最後に読者にメッセージを。「浮雲心霊奇譚」はデビュー当初から書きたいと思っていた作品です。なるべく教科書的にはならず、江戸の空気を肌で感じ取ってもらえるように工夫して書いているので、時代小説は苦手、という若い人にも手に取っていただきたいです。そして現代ものとは違った魅力に気づいてもらえると嬉しいですね。このシリーズで挑戦してみたいこと、描いてみたい題材はたくさんあります。完結までまだ時間がかかりそうなので、ゆっくりと楽しんでください。