本書は『森羅記』第三巻であるけれど、前巻までのあらすじに目を通して、本書から読んでも問題はない。シリーズは第一巻から読むのが理想だが、目の前にある新刊から読んでも別にいい。途中から読んでつまらなかったら、その程度のシリーズでしかない。優れたシリーズは、どこから読んでも面白く、どこからでも人を夢中にさせる。北方謙三の中国小説のシリーズはみなそうだ。
モンゴル帝国の第四代皇帝モンケが崩御した。クビライと、末弟のアリクブケとの後継者争いが勃発し、国を二分するような戦いになるが、クビライは末弟の挙兵を「兄弟喧嘩」とかるく見ていた。
時を同じくして、日本は鎌倉時代。北条時頼は執権を辞し、最明寺入道と呼ばれる身となったものの、幕府の実権は依然として時頼の手にあった。幼い時宗を長い旅に出し、造船が進み、交易の道も広げ、大モンゴル国、高麗、南宋に思いをはせていた。
鎌倉時代の元寇(一二七四年および一二八一年)に至る過程をモンゴルと日本から描くのが『森羅記』である。本書の時代は一二六〇年あたりで、モンゴル帝国の襲来のときの執権である時宗はまだ子どもであり、日本での物語にはあまり動きはないけれど、モンゴルは違う。戦場中心となり、前二巻よりもアクション豊富で、ダイナミックで、この壮大な物語に引き込まれるはずだ(だから本書から読んでも面白いはずだ)。
北方謙三の中国小説のシリーズはみな、充分にスケールの大きな物語であったけれど、今度はモンゴルと高麗と南宋と日本の同時代をカットバックの手法を駆使して描いていくから、いっそうスケールが大きい。めまぐるしく舞台が変わり、人物の視点が替わり、人と人がぶつかり、国同士が戦い、死んでいく。人生と死と戦争、ときに性の悦びも本書にはじっくりと書き込まれていて、生命の輝きを知ることになる。
何よりも驚くのは、その現代性だ。「為政者は、力で自分の考えを押し通す。極端なことになれば、その力は殺戮だ」という台詞が出てくるが、イスラエル&アメリカのみならず自国民にも銃をむけるハマス&イランにもいえるだろう。「私は、ムスリムです」「だからなんだ。ほかの者を認めないのが、ムスリムか」といった対話も、ヨーロッパやアメリカで起きている(いずれ日本でも起きるだろう)ムスリム移民との深刻な摩擦問題を想起させて生々しい。およそ七百六十年前の物語なのに、人物たちが対峙して議論されるのは、まさにいまの社会情勢そのものであり、だからこそいちだんと面白さが際立つのである。
北方謙三の小説なので、出てくる人物がみな印象的だ。クビライをはじめとするモンゴルの男たちもいいが、日本の男たちもいい。とくにモンゴルと鎌倉幕府と適度な距離をおいて、独自の価値観をもつ松浦党(水軍)の男たちが、何をしだすのかわからない力を秘めていて魅力的だ。魅力的といえば、本書ではやや影が薄いけれど、満や藤乃といった個性的な女性キャラクターも良くて、もっと頻繁に登場させてくれ! といいたくなる。彼女たちが果たしてどのように成長し、男たちの戦いにどう食い込むのかも、実に愉しみだ。
また、本書でも気配が強まってきたが、モンゴルと高麗と南宋と日本の男たちがみな、海のむこうの国を視野にいれ、戦いと覇権のために造船など水軍の礎を築かんとする動きにもわくわくする。作者のいう「物語の庭を海の上にした群像小説」がますます色濃くなってきてたまらないのである。