― 村田さんの『世界99』は、コミュニティごとにふさわしい人格をつくりあげながら、ある種の自衛手段としてキャラクターを使い分けることで日々を生き延びてきた女性・空子が主人公の長篇小説。村田さんらしいユニークな発想から、人間社会の行き着く先をとことん描き切ったこの一冊、長濱さんはどのように受け取られましたか。
長濱 どこかSFのような、ディストピアのような設定もさることながら、例えば差別を受けている人が自分もまた差別をしていることに気づかないでいる構造や、ピョコルンというかわいらしい生き物をめぐる出来事など、すべてが衝撃で濃密で、圧倒されっぱなしでした。まずはこの物語のルーツについてお聞きしてみたいです。ずっと頭の中にこのような世界観があったのか、一からつくりあげるように書かれていったのか。
村田 この物語の前に「孵化」という短編を書きました。異なるコミュニティの人びとが一堂に集まる結婚披露宴という場で、主人公がどんなキャラで振る舞うか迷う話なんですが、それをいつか長編でも書きたいと思っていて。今回の主人公も、自己の性格がなく、コミュニティに呼応して変化していく人になりました。彼女にとっては世界そのものも分裂していて、SNSのタイムラインのように反復横跳びするようなイメージです。
私の書き方はまずノートに主人公の似顔絵を描くところから始まるんです。原稿用紙があまり得意ではなく、罫線のない真っ白なノートが好きで、そこにフリーハンドで描いていくんです。最初から閉じこめてしまうと上手く書けなくて、真っ白な紙が好きです。
ピョコルンの絵も、最初に描いたもののひとつです。実は今とはけっこうイメージが違って、もっとイルカ寄りの姿だった気がします。
長濱 作中でいうところの〈パンダとイルカとウサギとアルパカの遺伝子が偶発的に組み合わさって出来上がった生き物〉ですよね。さきほどピョコルンのステッカーをいただいたのですが、「ああ、こんな姿なんだ!」と思い感慨深くて。すごくかわいい。
でも、上巻の最後でピョコルンの「正体」といいますか、真実が明かされ、天地が引っくり返る展開を迎えます。あまりにも衝撃が大きすぎて息ができず、なかなか私、下巻に入れなくて……。
村田 そうですよね……負担をおかけして申し訳ないです。
長濱 個人的には展開だけでなく、物語の中に刺さる言葉がたくさんあり圧倒されました。
例えば第一章で、空子の中学の同級生であるレナさんが自殺してしまったときの〈レナは自殺したのではなくて、心が殺されたので、身体をそれに合わせただけなのだ〉という一行がとても強くて……。もちろん、自殺は究極的な選択だと思うのですが、この作品はその苦しみの内側に寄り添ってくれる。そう感じる一行がいくつもありました。
あと、上巻のはじめで、小学生の空子が痴漢に遭ったときに、こんなささいなことで先生に相談してもいいのかな、と思って迷ってしまう場面がありますよね。それがすごく理解できて……。自分のなかで、傷つきに大小をつけてしまうといいますか、自分よりもっと不幸な人がいる、もっとしんどい思いをしている人がたくさんいる、と思うと、自分の苦しみを直視することができなくなってしまうことがあります。この小説ではそういった過程がすごく緻密に言葉になっていて、ああ、ちゃんと言ってもらえた……と。
村田 「傷つきに大小をつけてしまう」という言葉、とても的確で心に刺さる表現ですね。いま隣で聞いていて、自分にも思い当たる言葉だなあ、とはっとしてしまいました。
長濱 そんな、お恥ずかしい……。本当に、読んでいるあいだ自分が丸裸にされていくような感覚でした。他にも、同意するだけで私の意見が構築されていく、という感覚もものすごくわかります。ありとあらゆることが刺さって、全部は言い尽くせないです。
村田 わあ……ありがとうございます。きっと読者のみなさんに多大なる負担をかけてしまう物語だと思うのですが、そんなふうにおっしゃっていただけてありがたいです。
長濱 私にとっての村田さんの作品の入口は『しろいろの街の、その骨の体温の』(※)なんです。学校の図書館でたまたま見つけて。実際の内容はもちろん、装丁もすごく素敵ですよね。どこか『世界99』のクリーンタウンをも彷彿とさせます。
村田 すごくうれしいです。『しろいろ』は思春期の女の子を―思春期をめぐるすべてを書いてしまいたい、と思って吐き出すように書いていた小説です。自分にとっては出し切ったという感覚をはじめて持てた小説でもあって、とても思い入れがあります。
長濱 初めて読んだのは中学2年生だったと思うのですが、あの頃はちょっとした摩擦で自分の世界が全て変わってしまうような、不安定な人間関係の中にいました。そんな私にとって、主人公の結佳は眩しく、どうしようもなくかっこよく見えました。それと同時に自分は凡庸であると意識させられて。でも最後には自分だけの光を示してもらったような気がして不思議な体験でした。この作品が、村田さんの世界に魅了されるきっかけとなりました。
それまでの私は、ずっとファンタジーや魔女ものが大好きな少女時代を過ごしていて。魔女たちの世界も、自分が生きている日常の延長として読んでいたので、世界そのものに対して違和感や問いを持つことはありませんでした。
村田さんの小説は「世界への疑い」から始まる。そのことに本当にびっくりしました。「思考実験」という言葉があちこちに出てきますが、まさにそんな感じです。知らない世界、知らない視点に触れ続けることで、自分が立っていたところが揺らいでいくような感覚がありました。
今、私は26歳なのですが、この『世界99』をきっかけに改めて村田さんの作品を読ませていただいたら、最初に出会った頃とはまた違う感覚を抱くことになって……。前回読んだときよりも、共感する部分がすごく多かったんです。舞台となっている世界は現実からはかなり離れていて、私が今いる環境ともまったく違う。なのに「わかる」と思うことがたくさんある。それはきっと、様々な経験を通じて読み手である自分自身が変わったんだろうな、と。
村田 実は『世界99』の上巻を書いているとき、少し『しろいろ』を思い出すところがありました。
今回の『世界99』の主人公・空子の場合は、私自身とは違う、うまく生きられてしまう側の女の子なんですが、『しろいろ』の主人公の女の子のまなざしから見た教室の景色にも通ずるというか。自分自身とは違う存在なのに「ああ、わかる」と思える部分がたくさんあって。すでにけっこう書きためていたので、本当はそのまま文章を整えて掲載できればと思っていたんですが、書いているうちにどんどん膨れていってしまい……記憶から膿がとろとろ出てくるような感じになってしまったんです。
例えば、あえて男の子っぽく振る舞っている女の子の地獄とか、あるいは異性から好かれることもできてしまう女の子から見える地獄とか。そういう、いろんな種類の地獄があるんだということ、いろんな種類の地獄が私たちの住んでいる世界には並んでいるんだということは、この主人公だったからこそ書けたのかもしれないです。
長濱 「記憶から膿がとろとろ出てくる」感じ、すごくよくわかります……! 村田さんがここに書いてくださった地獄によって、自分自身の経験もよみがえってきて。いつのまにか蓋をして見ないようにしてきたものでしたが、言語化してもらえたことで私自身ものすごく救われました。
長濱 無理をしながら仕事していると、どの自分がほんとうの自分かがわからなくなってしまうことがあります。嫌われるのが極端に怖くて、自分じゃないなにかに運転されているような感じがするといいますか……。でも村田さんの『世界99』を読んで、そこに後ろめたさを感じなくてもいいんだと思えるようになって。自分が感じている心許なさを肯定してもらえたような気がしました。
村田 その言葉、うれしいです。私はあまりテレビに出る機会は多くないんですが、いざ出るといつも、その場の空気に引きずられてしまうんです。やっぱり慣れていないというのもあるし、妙にドキドキしてしまって。番組によるのですが、あれはプロデューサーさんなのかな、現場をコントロールされている方が中心に立っていて、視線だったり、表情だったり、その人が笑ってくれるタイミングにあわせて自分の言葉も調整していくうちに、虚構ではないのですがある特定の側面が強化していき、いつの間にかその空間だけのまったく別の自分が出来上がっていく。それが編集されて映像になると、もうプロデューサーさんの作品というか、自分とはかなり乖離したものになっている場合もある感じがします。笑い声や雰囲気、空気全体を調節するのがお仕事ですし、普段見られない側面を引き出してなるべく魅力的なものにしようとなさっていて、それがないとおそらく成立しないであろう、ということはとてもよくわかるんです。でも、私にとってそれは時として操作に等しい行為というか、まさに長濱さんがおっしゃっていた「運転されている」という感覚。そうした空気の作為のなかに自分の姿が映ってしまうのはいつまで経っても慣れないですね。
長濱 私は16歳くらいでこのお仕事を始めて、当初はいろんな反応を目にするたび、心がささくれだってしまうことも多くありました。そのうちに諦めてしまったといいますか、気持ちを切り離すようになったのですが、それでも自分が発したものは目に入ってきてしまうので、けっきょく傷ついてはいて……。
でも、そういった自分をこの小説にまるごと救ってもらえた気がしています。私にはこの本の世界がユートピアに見えて。自分が今まで考えないようにしてきたことが成仏していくような感覚がありました。
村田 長濱さんと同じ気持ちかどうかはわからないのですが、朝井リョウさんが「この本の中で初めて寛げる人がいる」というコメントを寄せてくださって。この小説の中のほうが居心地がいいと感じる人、ここにある世界の中のほうが生きやすい人びとがいる。だとしたら、そういう意味でもこの作品を送り出せてよかったなと思います。
長濱 読み手からするとありがたいことなのですが、村田さんにはこんな世界が見えているんだ、と、書き手の生きづらさや苦しみを想像してしまいました。ものすごく鳥瞰的な視点といいますか、そこまで視野が研ぎ澄まされていたら、逆に引きずられてしまうことはないのかな、息を吸うことすらしんどくなるようなこと、ないのかな、と思ってしまいます。
村田 幼少期から、ありとあらゆる意味で相当生きづらかったと思います。特に女性という性別ならではの経験は、痛みや苦しみを伴うものが多かったです。私がいつも女性の主人公を描いているのも、その生きづらさがずっと抜けないからなんです。
なんだろう、いくら書いても終わりがないというか……無限にある気がします。書いていないときのほうが、むしろつらかったりもして。書くようになってからは、書いていない時間が自分の時間じゃなくなったというか、ただ世界を録画しながら生き延びているだけ、という感覚ですね。だから小学生のときから小説を書くことにのめり込んだんだと思うんです。
それまで自分の人生は自分のものだと思っていなかったし、自分の体すらもそうは思えなかった。でも、小説を書いているときは、小説のためだけに存在できる。それが私にとって唯一の教会なんです。そこでは小説という神様にひたすら従うことができる。書いているあいだだけは、そうやって自分の体で生きることができる。書いていないときは調子が悪くなってしまうので、常に書くようにしています。
長濱 ありがたいことに『ダ・ヴィンチ』という雑誌で三年間エッセイを連載させていただいて。それがとても楽しかったので、今度はフィクションに挑戦してみたいと思って書いてみたのですが……エッセイよりもはるかに自分が苦しくなってしまって。
エッセイの場合は自分の生活のことを書くので、ちょっと変な言い方になってしまいますが、書きたくないことは書かなくても成立してしまう。ある程度、意識的に避けることもできます。でもフィクションを書いていると、自分とは別のものに自分自身が引っぱられすぎてちょっとしんどくなってしまって。まだ完成させられたものがないんです。
村田 長濱さんのフィクション、ぜひ読んでみたいです。どんな内容か伺ってもいいですか?
長濱 二つくらい書きかけのものがあって。一つは、恋人と同棲している女性が主人公で、その恋人が彼女のことをあまりに好きすぎて“彼女自身”になろうとしてしまうんです。そして美容整形をして主人公そっくりの姿形になる。でも主人公は、もともと自分のことが嫌いなので、自分の姿になった恋人がすごく憎らしくなってしまう、というお話なのですが……書いているうちに私自身が主人公の気持ちに引っぱられすぎて、主観だけで語ってしまっているような気がして……。これでいいのかな、と迷っています。
それにフィクションって、実際に経験のないことや見たことのない場面を書くじゃないですか。自分の経験にない描写をうまく表現できないまま考え込んでしまいました。
村田 でも、お話だけ聞いているとすごく読みたいです、その小説。
長濱 ありがとうございます……。現実には存在しないもの、例えばピョコルンのような存在って、どうやって生まれるんだろうとずっと不思議に思っています。村田さんはよく「水槽に入れて自然発生するものを観察する」 (『世界99』刊行記念対談 村田沙耶香×岸本佐知子「人を、世界を実験し、誠実に書き留める」 | 集英社 文芸ステーション)という説明をされていますが、それも結局は、ご自身のなかで生み出してるということだと思っていて。
村田 そうですね……そこはやっぱり難しくて。リアリズムほどの描写は、正直、自分ではできていないと思っています。それが自分の作家としての甘さだなと感じるところですし、それ以外にも、小説を教えてくださった宮原昭夫先生の句読点一つまで徹底的に磨かれた文章を思い出して自分の未熟さにいつもぞっとしています。
でも、なにかを直接的に想像するというよりは、じっくりと、そのバックグラウンドを執拗に設定していくことで、必然的に見えてくるというか……。そういうことを積み重ね
て、なんとかリアルを立ち上げています。自分にとってもまだまだ課題が多いんです。
長濱 村田さんの小説の読者からすると、すごくリアルで、すべてが本当にそこにあるみたいで。頭の中で映像化して物語を追い続けている感じがします。
村田 ありがとうございます。でも課題があるって私にとっては幸福なことなんです。課題が多いということはまだまだ生きて書くべきだということでもあると、自分を励ましています。私は書き終えた翌日には、もう次の小説を書き始めるんですが、それは自分の精神の安定のためでもあって。
書き終えた作品に対していろんな言葉を受け取ったときに、それを栄養としててどのように処理するか、判断して吸収するだけなので気楽なのです。いい言葉でも悪い言葉でも、すでに次を書いていれば、自分にとって興味があるかのみで他の作品に対して存在している言葉を認識し、新しい小説の栄養になるものだけを選び取って流し込むことができます。でも次を書いていないと、出口のないまま言葉がたまっていくというか、栄養じゃないものも一緒にどんどん身体の中にたまっていくだけで、脳がぱんぱんになってしまって。だから私は次を書いている方が精神的に安定するんです。
長濱 すごい……。
村田 ぜんぜんすごくはなく。単に気が弱いからだと思います(笑)。