課題作(テーマ『恥』)『恥晒し』中川真緒

「うん、ありがとう。次は『女性開眼』がいいわ。買ってきてくれない?」
 莉生は白杖を撫でながら、芯のある声で私に礼を告げた。今しがた私が音読していた文庫本は、月並みの感想すら与えられずに次の本の話題に変わったことに腹を立てているように見えて、僅かに同情と励ましを含め、莉生を真似て私もかさついた表紙を撫でた。
「『女性開眼』、って……川端康成? 趣味じゃないって言ってなかった?」
 莉生は他人の声の機微に敏い。身に染みて理解している私は、緊張を悟られないようにあえて柔らかい声を出した。
「やっぱり知ってるのね。読んだことあるんでしょ」
「なくは、ないけど」
 そりゃそうだろ。お前のために、お前の気持ちを知りたくて、そのために私は、盲目の人が出てくる本はことごとく網羅したんだからな。
 浮かび上がった台詞は台詞にならず、私の脳髄で溶けて終いになった。お前のためでもなんでもない、自己満足の、ただの独りよがりでしかないと、自覚はしているから。
「私さ、手術出来るみたいなの」
 唐突といえば、唐突。脈絡があるといえばある莉生の言葉に、私の喉は情けなくも、引き攣った音を出した。死刑宣告を受けた罪人さながらの音だった。
 まずい。そう思うや否や、莉生の白い掌が視界を覆うように被さる。
「ねえ、取り繕わないで。純はどう思うの? どう思ったの? 私、目が見えるようになるかもって聞いて、どう? どうしてほしい?」
 莉生は私の瞼から顎にかけてをなぞるように触って、畳み掛けた。形を確かめるように鼻を撫でたり、ふにふにと頰を揉んだり、人形の顔立ちを整える人形師染みたその仕草に、私がうんざりとした表情を浮かべれば、莉生は「ふふ、嫌そうな顔」と心底楽しそうに笑う。
「うん、嫌だ。これ、やめてって前も言ったよね?」
「ええ」
「じゃあ」
「でも、こうしないと私には貴方の表情がわからないわ」
 ふてぶてしく私の眉間を撫で続ける莉生にため息を吐いて、逡巡する。なんと返すべきか、これからどうするか。
 わからなくていい。こんな見るに堪えない顔、どんな表情だってどうせ汚いよ。
 浮かんだ台詞はまたも奥底に沈んだ。これは言うべきではない。言いたくない。けれど莉生が手術をすればいずれ、私が今まで必死に取り繕った鎧が剝がれる。この恥を、この顔を、彼女に晒して、どうすればいい。莉生の前で、どう笑えばいい。低く大きな鼻と、細い目と、下膨れた頰を、どうすれば視覚を取り戻した彼女に取り繕える。
 冷や汗が止まらず、喉がキリキリと痛む。わかりやすく動揺を晒す私に顔を向けて、悪魔は天使のような微笑みを浮かべていた。
「ねえ、決めさせてあげるわ。私は視力と貴方なら、貴方が欲しい。貴方は? 私の視力と、貴方の恥なら? 私の視力と引き換えに貴方の恥を守ったら、貴方をくれるの?」
 私の目元をなぞりながら畳み掛ける莉生に、私は焦燥で溢れて止まらない唾液を飲み込んだ。そうしてやっと、答えを零す。
「私を、あげるよ」

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