風が吹いている。草が揺れていた。地平から、単騎、疾駆してくる男の姿が見えてきた。顔までが、はっきりわかる距離になった。眼が燃えている。そして、笑っていた。俺を書けるのか。男の声。この俺を、おまえは書けるのか。私は、肚に力をこめた。書ける。口には出さないが、そう思った。私には、言葉という武器がある。歴史を創った英雄であろうと、言葉が尽きないかぎり、私は書ける。言葉の先に、物語があるのだ。
さあ書いてみろ。チンギスが笑いながら言う。勝負だな。チンギスの声が、駈け去っていく。
私は風の中に立ち、雄叫びをあげた。
北方謙三 (きたかた・けんぞう)●1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大学法学部卒業。81年『弔鐘はるかなり』でデビュー。83年『眠りなき夜』で第4回吉川英治文学新人賞、85年『渇きの街』で第38回日本推理作家協会賞長編部門、91年『破軍の星』で第4回柴田錬三郎賞を受賞。2004年『楊家将』で第38回吉川英治文学賞、05年『水滸伝』(全19巻)で第9回司馬遼太郎賞、07年『独り群せず』で第1回舟橋聖一文学賞、10年に第13回日本ミステリー文学大賞、11年『楊令伝』(全15巻)で第65回毎日出版文化賞特別賞を受賞。13年に紫綬褒章を受章。16年「大水滸伝」シリーズ(全51巻)で第64回菊池寛賞を受賞。『三国志』(全13巻)、『史記 武帝紀』(全7巻)ほか、著書多数。